ORRSオールズ
佐藤陽介さんが営む沖縄中部の北谷町に位置するORRS(オールズ)。
沖縄のサーフカルチャーの発祥の地砂辺(Sunabe)の海岸まで200mの場所にたたずむ1ルームのみのプライベートホテルに併設されたショップではオリジナルブランドの洋服、沖縄伝統工芸のやちむんやディレクター自身が本当に良いと思える様々なアイテム、スーベニアグッズを取り扱う。
『ORRS』ができるまで
沖縄へ出かけるとき。リゾートホテルに泊まって、沖縄そばを食べる。もちろんこれも沖縄の楽しみ方のひとつだ。だが、また違った選択肢として、『ORRS』のプライべートホテルに泊まって、『BACAR』の熱々のピザを食べる。これも沖縄の楽しみ方のひとつである。ビーチに向かう前に、『ORRS』のお店を覗いて、パナマハットを衝動買いするのもいいだろう。真の贅沢を感じる旅。私たちは是非ともこんな旅をおすすめしたい。今回は『ORRS』の店主、佐藤陽介さんに、『ORRS』ができるまでの経緯や、パナマハットの魅力、編み手さんのこと、ものづくりのこだわりなど、いろいろとお話を伺った。
「20歳くらいの時から自分のお店を持ちたいという気持ちがあって、ずっと考えていました。その時から、東京にお店を出すつもりは全然なくて、ちゃんと自分のスタイルやコンセプトが伝えられる場所でやりたいと思っていました。なんとなく、海沿いでいい感じのところがあればなあ……というのは漠然と頭に浮かんでいて。自分でやるためには、色々なことができないといけないので、勉強しないといけないなと。それで好きだった『Ralph
Lauren』で働かせて頂ける事になりました。接客やディスプレイをしていく中で、もちろん勉強になる部分もたくさんありました。ただ、例えば、ディスプレイはアメリカからの指示に従わないといけないし、着るものも決められたりして、そういうのは全然おもしろくなかった。ブランドとしてすごく尊敬する部分もあるけど、表現するところは、自分のやりたいことを表現したいなと強く思いました。『Ralph
Lauren』で勤めて6年程経って、ある程度なんでもこなせるようになっていました。その時、ずっと好きで着ていた『Phigvel』というブランドで、人を探しているということで、ご縁があり働かせて頂ける事になりました。それから、お店に立ちながら、生産管理や営業なども勉強させてもらいつつ、自分のお店のイメージを膨らませていました。そしてまた6年くらい勤めて。なんとなく自分の中で、6年くらい経つといろいろ見えるものがあるっていうのがあって。『Phigvel』のデザイナーの英樹さんがいなければ、絶対に今の考えになっていないと思うほど、ものづくりの事、人としてどうあるべきか、本当に多くの事を学ばせて頂き、沖縄で『ORRS』を始めることになりました。沖縄でお店を始めるにあたり、100年程前のアンティークの照明や、『Ralph
Lauren』のホームコレクションとかもすごく好きで長年コレクションしていたので、それを自分の世界観で直接表現できる宿とかがあったら面白いんじゃないかと思って。だったらホテルにしちゃおうと考えました。本当は3部屋とかあった方が2家族以上での旅行にも使っていただけて良いと思うんです。ただ、どこにも力を抜かなくて良くて、完璧にできる規模が一部屋だったんです。逆に、お店の方はスーベニアショップとして考えました。前から旅先で買って帰ったものって旅の思い出も宿るからいいなって思っていて、そこでこだわって製作したシャツやパナマハットや陶器を並べようと決めていて、すべてにおいて、自分の手から離れすぎず、ちゃんと想いがこもったものを販売したいと思って始めました。オープン当初からずっとかわらず午前中は作陶して、お昼からは店立ちしながら次に作るデザインをゆっくり考え楽しんでいます。名前のきっかけになったのは、船を漕ぐ時に使うオールです。オールって男性用と女性用で長さが違うんですよ。オールって早く進めないけど、妻と二人で、ゆっくり進んでいくっていう意味で、オールをもじって『ORRS』にしたんです」
沖縄との出会い
「初めは、普通に旅行で来ました。妻が沖縄出身なので、いろいろと案内してもらったんですけど、ここではお店はできないな、っていうのが正直なところでした。北部の美ら海水族館の辺りとかは、めちゃくちゃハワイっぽいところで、ビーチもとても綺麗で自然がいっぱいあって、とてもいいところなんですけど。路面店なんてないし、海とリゾートホテル、それと観光客向けの居酒屋ぐらいしかないんです。ここでは絶対洋服屋なんて無理だと思いました。でも何度か沖縄に来ているうちに、北谷の砂辺(すなべ)の存在を知りました。『ORRS』付近ってローカル色が強くて、砂辺の海岸は沖縄のサーフカルチャー発祥の地で、サーファーがいっぱいいたりとか。この町を知った時すごくおもしろいなと思いました。日本っぽくなくて、でもアメリカでもなくて。本当に、沖縄の『チャンプルー(ごちゃまぜ)』という言葉が当てはまる感じで、いろいろな文化がおり混ざって、独特の文化を作っています。日中お店の外にいると、ほとんど英語しか聞こえてこない。下校中の小学生なんか見ても、日本人の子や様々な人種の子も混じって、英語で話しながら帰ってる。ご飯屋さんもベーグルとかパンケーキとか外人さん好みのメニューが多く、朝は6時から開いてるお店とかもあって、日本とは全然違うんです。この町には洋服屋がなかったので、こういうところでやったらおもしろいだろうなと思って、この付近で2年ぐらい開店する場所を探しました。そして、すごくいいタイミングで今の場所が見つかったんです」
パナマハットとエクアドル
「姉ちゃんが高校の時にアメリカに留学していて。ある日、リーバイス702のクソ汚いデニムを履いて帰ってきて。シンチバックのディテールのかっこよさに衝撃を受けて。それが小学校6年ぐらいかな。中学校に上がって、自分で大分市内の古着屋をまわったり、アメカジの洋服屋をまわったりしてました。ブランドネームとか覚えてないですけど、その頃に安い本当にパナマハットを買ったのが初めてですね。3段リボンになってるのは覚えてて『ここがいいなー』って思ってましたね。でも結局ほとんどかぶらずに、海行くときとか、釣りするときとかにたまにかぶるだけでした。それから東京に出て、洋服屋をやるようになって。『Ralph Lauren』の時も、ルックですごくいいパナマハットが使われていたり身近で見てはいましたが、バイクも乗ってたし、まだそんなに生活とはマッチしていなかったですね。でもスタイルとしてはすごく好きで、色々買って持ってはいました。若い頃は、持ってても小っ恥ずかしくて、ほとんどかぶらずに見て終わりだったんです。部屋に飾ってるのがかっこいい、みたいな。でも歳を重ねると、だんだん自分の生活とマッチしてくるんです。もちろん初めは等級が低いものしかかぶれないんだけど、やっぱり追求していくと、だんだんいいものがわかってくる。それから、いろいろな等級のものをかぶりました。そして『Phigvel』の時に、初めてモンテクリスティ(エクアドルの小さな街、最高級パナマハットの産地)をかぶって『これは本当にすごい』と思いました。そのパナマは今でも大切に大切にメンテナンスしながらかぶっています」
「それからいろいろ調べて、どこ見てもある程度同じような、いわゆる黒リボンのよくあるかたちのものばかりだったので、もし自分のお店でパナマハットを扱うなら、同じようなデザインにはしたくないなと思いました。それで『ORRS』では、自分で馬の毛を編んだものをリボンに使ったり、試行錯誤しながらパナマハットを製作していました。それからさらにパナマハットのことを深く知りたいと思って、ずっと頭の中に貯めていたデザインを持ってエクアドルに向かいました」
「そして現地の編み手さんたちと直に接する中で、何ができて何ができないのかとか、クラシックなものは何かとか、いろいろな要素を学ぶことによって、例えば今まで得意としていたオプティモの形に、クラシックな要素を混ぜたり、そういうことが考えられるようになりました。今では妥協なく、やりたいことを100%で表現できるようになりました。パナマハットって作るのにとても時間がかかります。等級が上がればひとつで4ヶ月とか。これって、編み手さんの人生の時間を、この帽子ひとつのために使ってくれているってことなんですよ。それはむちゃくちゃ感謝しないといけない。だからなるべく直接顔を合わせて、どんな人が、どんなところで、どんな風に売ってるのかを伝えたい。そして、このハットを手にする日本の人たちにも、これを作ってくれている編み手さんのことを伝えたいんです。そういう思いがダイスさんに行き着いたみたいなところもあります。ダイスさんとのご縁もトモくん(小野崎さん)からのご紹介ではじまり、まずはパナマハットから展開させて頂ける事になりました。吉田さんやスタッフの井上くんも沖縄までわざわざ足を運んでくれて、旅行中の貴重な時間の多くを『ORRS』で過ごしてくれたのも本当に嬉しかった。やっぱり、人と人との繋がりがある、自分の好きなお店でやりたい。愛のあるところでやりたいから」
ものづくりのこと
「ものづくりでは、自分が着たいとか、伝えたいとかを大切にしています。元々陶芸始めたのも、家で使いたいからなんですよ。だから、出来上がったら全部使いたくなってしまうので、正直あんまり売りたくないって思ってしまいます(笑)。逆にそう思わないものは売らないようにしています。自分が着たいと思うものをとにかく追求して作っています。そこでは絶対に手を抜きません。究極に着たいものを究極にこだわる。あとどれだけ無駄をなくすか。何が必要で何が無駄か、ゆっくり考えます。長年勉強させて頂いた『Phigvel』のデザイナーの英樹さんは同じ生地を何日間も持ち歩き、これでもかと思うほど考えているのをずっと見てきました。なかなかしっくりこない時もあります。考えすぎて行き詰まることもあります。それでもゆっくり考えて答えを出します。あと、誰もやっていないようなおもしろいことを考えますね。例えば、お皿も洋服みたいにリバーシブルだったらおもしろいなとか、そういうちょっとおもしろい発想を常に考えています。4DICEのシャツもこういうこだわりの中で作りました。もともと、お店をオープンする時に同じ形のシャツをコットンで作っていたんですけど、買ってくれたお客さんが次来た時にシャツがしわくちゃになってて、それはそれで雰囲気があっていいんだけど、やっぱり綺麗に着たい時はアイロンしないといけない。だけど独身男性だとそもそもアイロンを持ってなかったり、面倒だったりするじゃないですか。なので洗ってもシワになりにくい生地を、研究しました。そしてやっとたどり着いたのが、今回4DICEのシャツに使った生地でした。3本レーヨンを打ち込んだら、1本ポリエステルを打ち込む。ポリが入ることで、肉厚なレーヨン生地のようになってて、洗った後も脱水せずに掛けておけば、シワは伸びて気にならない。納得できる生地をやっと見つけられました。こういうシャツは縫製が汚かったら台無しなので、運針をすごく細かくして、ギリギリでやってもらっています。ドレスシャツのような細かいタックを入れてもらって、腕のゆとりを取りながら、見た目も上品に。あと襟のカーブにもこだわっていて、微妙にカーブするように作っています。今までも、いろんな素材で同じ形のシャツを作ってきて、毎回カーブするように職人さんにお願いしてるんですけど、短い距離だとどうしても真っ直ぐで上がってくるんです。今回はやっとやってくれたって感じですね。いろいろと考えるのは大変だけど、それが楽しいです。それだけ考え尽くせば、4DICEのシャツのような結果がでてくると信じています」
パナマハットのお手入れ
「雨に濡れたらいけないってよくいいますよね。実際は糊が落ちてヨレてしまうだけなので、また糊付けすればいいんですけど、日本ではやってくれるところがありません。エクアドルには帽子のクリーニング屋があり汚れたらスベリもリボンも外し水洗いするんですよ。また糊付けして、型に入れれば戻ります。もし雨で濡れてブリムが暴れちゃったりしたら、簡単に直す方法としては、当て布をしてアイロンのスチームで熱してあげれば一瞬糊が溶けて、結構真っ直ぐになります。あと汗染みができたら、抜くのは結構難しいから、上から染め直してあげることもできます。エクアドルではこれを石灰でやってます。スベリの汗のにおい関しては、メイク落としとかで拭いてあげるとにおいも取れるので、あとは風を当てて乾かせば大丈夫です。保管方法は、やっぱり箱の中にずっと入れて保管するより、風通しのいいところで保管するのが一番いいです。壁に掛けておいたり、箱の上においておくだけで大丈夫です。オフシーズンは除湿剤みたいなものと一緒に箱に入れておけばいいと思います。お手入れに関して、自分でできるところは多いんですが、本当に困ったら『ORRS』に相談してください」
わたしの沖縄ガイド/陽介さん
「丸市食品」〜「カフウバンタ」〜
「大泊ビーチ」
「大好きな場所は大泊ビーチですね。海中道路を渡って、まず『カフウバンタ』で絶景を眺め、そして伊計島の一番奥にある『大泊ビーチ』に向かいます。その時に魚肉ソーセージを買っていくといいですよ。ゴーグルつけて、細かく切ったソーセージをまくと、美ら海水族館の水槽に入ったかと思うぐらい魚が寄ってきますから(笑)。伊計島はご飯屋さんがないので、行きがけに『丸市食品』ってところに寄るといいです。チキンの揚げ物と稲荷しか売っていないお店なんですけど、地元のソウルフードでビーチで食べるともう最高です。あとやっぱりBACARが旨いんですよね。BACARについて一言?う~ん。ちょっと待ってくださいね。『沖縄でBACARを食べないことは、沖縄そばを食べないことと一緒』っていうのはどうでしょう!」
丸市食品
沖縄県うるま市字塩屋494-6
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カフウバンタ
沖縄県うるま市与那城宮城2768
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大泊ビーチ
沖縄県うるま市与那城伊計1012番地
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わたしの沖縄展/陽介さん
Aloha Blossomの「KISS」
「アロハブロッサムが始まってまもなく、ちょうど沖縄で結婚式をすることになり、二次会の衣装として着ました。この柄を見た瞬間『これだ』と思いすぐにトモくん(小野崎さん)に電話したら、速攻ベスパで当時働いていたお店までもってきてくれました(笑)。結婚式の翌日にはキヨサクさん、トモくん、ひさしさん、仲村さんにBACARでお祝いして頂いた思い出や、購入したストーリー等とても思い入れのあるシャツです。当時より体がだいぶ大きくなってしまい着れなくなったので、息子の結婚式までとっておこうと思います」