RoosterKing&Co. / 松崎氏 インタビュー前編
2015.12.24 / INTERVIEW
▲松崎氏に入れていただいた珈琲をいただきながらインタビュースタート
福岡県糸島市にアトリエを構えるRoosterKing&Co.。
人生の半分以上を過ごしたアメリカでの生活、レザーカービングの事など、代表の松崎氏に独占インタビュー。
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もうちょっと刺激が欲しいって思っちゃって、アメリカ、L.Aにいったの
ー早速ですが、以前はアメリカでバイヤーの様なお仕事をされていたんですか?
松崎さん(以下、松崎):そうですね。アメリカにいる時は全て、古いもの、もう雑貨から服から、ありとあらゆる知識を吸収して、それを日本に送ってたっていう感じでしたね。だから家具もやったしアンティークもやったし、ビーズもやったしコイン関係も、全てやった。頼まれるものはなんでも送ったよ。「こういうの探してください」って言われたら全部やった。
中にはやっぱこう、シルバーのコインとか送って、これシルバーじゃない!とかっていろいろ問題があったりもしたんだけど、そんなことやりながら、同時に勉強しながらいろいろやってましたね。あ、これは925じゃないとかってね(笑)。
ーアメリカでは L.A にいらっしゃったと聞いたんですが、その前は東京に?
松崎:えーっと、L.A の前は、東京に18~22歳の時までの4年間いたのかな。その時はバンドやりながら、レストランでバイトしながらでしたね。
▲北アメリカの大鹿「エルク」フェザーネックレス等作品の鹿革部分は、全てエルクが使用されている
ーちなみにどんなバンドだったんですか?
松崎:その頃はね、どっちかって言うとロックなバンド、オールドロックみたいなバンドやってたよ。その前の福岡ではパンクバンドやってた。だいたい西新にあったジャジャとか、名前忘れちゃったけどいろんなライブハウスでやってたね。東京の時にも、福岡時代のメンバーともやってたよ。
結局もうちょっと刺激が欲しいって思っちゃって、アメリカ、L.Aにいったの。
▲松崎氏の「ティキ」コレクション
ー始めは何のあても無く、アメリカへ行かれたんですか?
松崎:まあ、何のあてもなくっちゃ何のあても無かったんだけど、友達に向こうで知り合いを一人紹介してもらって、迎えに来てもらって。なんだか無茶苦茶な人生送ってますね(笑)。それが22歳の時。それからずっとアメリカ。
向こうで一番最初は、飛び込みですし屋さんで働いたのかな。それから1年もしないうちに辞めて、すぐ洋服の古着のバイヤーさん探してるとこがあったから、そこに飛び込んで、それから洋服の仕事に入ったの。それは確か23歳ぐらいの時。
その当時はまだ日本から海外とかに買い付けに行ってる人は今みたいにはいなくて、現地にいる人が日本に送ってたっていう状況だったんですよ。その時はやっぱり、物がまだまだいっぱいあった時代だよね。デットストックにしろリーバイスにしろ。だからもう毎日が楽しくてね。毎日ずっと地に足が付いていない状態で生活してたね~何年も。
ー今年の10月にアメリカに行かれたと伺ったのですが、久しぶりに行かれたんですか?
松崎:そうですね、2年半ぶりですかね。今回は、収穫があったっていうか、また向こうに帰りたくなった(笑)向こうに20年くらい住んでたから、やっぱりもう、なんかもう懐かしいっていうか、帰ってきた!って気持ちになっちゃって。俺がアメリカに行った20代って、いっちばん大人になってエンジョイする時じゃん!会社に入ってどうとかって人たちはわかんないけど。音楽とかセンスの部分とかって言うのも、やっぱり人生の半分向こうで生活しちゃったからね。20歳そこそこで行って、40過ぎで帰ってきたからね。だからもうね、やっぱり人生の半分は向こうで送ってるから、記憶はやっぱ向こうの方が鮮明に残ってるもんね。
フリーマーケットで全てを教えてもらった様なもんだよね。
ーどういった流れで現在のレザークラフトをはじめられたんですか?
松崎:革の仕事始めたのは、正直ここ10年くらいなんですよ。それまでずーっとヴィンテージの服やったり、家具やったり、自分でちょっとTシャツ作ったりいろいろやってて、それで生計たててたんですね。そんな生活だったんですけど、うちの一番下のちびが生まれるときに、嫁が入院しちゃったんですよ。それで、入院して、そうなると上の子を一人でおいておけないから、外に出れなくなっちゃった。それで、家で出来る仕事ってなんか無いかなーってなったときに、前からちょこちょこ作ってた革の小物とかがあって、「これ売れるんじゃないかな」っていって、作り始めたのがきっかけで。
で、ローズボウルとか、フリーマーケットとかに持っていって、いろんなもの作って売ってたんです。これ僕が作って売ってますよって。これヴィンテージですよ!とかは言ってないですからね。騙して売ったりはしてないですよ!(笑)だからほとんどアメリカの人たちが、おもしろいなって買っていってくれて。でも、一見するとヴィンテージだと思っちゃう人もいますよね。まあ、もともと古くからあったものの様に作ってますからね。昔のものを再現するっていうか、そういうとこの編集能力とかっていうのは日本人独特な物かもしれないですよね。古いものは、もう新しくは生まれませんからね。
で、そうやって調子こいて作りはじめたんですよ。
始めはスタッズベルトからでしたね。フリーマーケットとか行くと、ヴィンテージの、30's とか40's のベルトとかがあるんですよ。それ買ってきて、それと同じように作ったりすることから始めました。それからベルトとかバングルとか、簡単な財布とかを作っていって、どんどんどんどんハマっていった。全部独学なんだけど。他のものも、フリーマーケット行ったらたくさん古いもの売ってるからね。財布とかなんでも、カービングされたやつとか。そういうのを買い漁ってきて、全部ばらしてみて、それからパターンとって作って。カービングもそんな風に、見よう見まねで作ったりして。カービングの道具とかも全部フリーマーケットに売ってるわけ。だからそれを集めて、これはどういう用途で使うんだろうって言いながら、勉強しながら。だからすごく古い資料とかもいっぱい持ってるよ、カービングとか革とかの。全部フリーマーケットで買ったやつ。だからフリーマーケットで全てを教えてもらった様なもんなんだよね。
ーRoosterの代表作となっているフェザーのネックレスはどうやって生まれたんですか?
松崎:あれは最初、キーホルダー程度で作ってたんです。最初はボールチェーンとかを付けて売ってて、友達にプレゼントしたりもしていました。
そうやってすこしずつ作ってたら、そこからいろんな縁で繋がって、ジョニーデップも愛用してくれたんですよね。あの時は驚きましたね。
ー日本人の人でアメリカに見に来たりする人はいなかったんですか?
松崎:いましたね。日本の色んな人たちが買っていってくれて、それを日本で販売してくれてたりもしました。それが10年なるかならないかぐらい前の事じゃないかな。
そんなとこに来るのってだいたい古着屋さんじゃないですか。だから、古着屋の有名どころって言ったら、ベルベルジンとかあとその当時は、ゴーゲッターとかもあって、あとは福岡ではフナッグとか、あと名古屋とか仙台、もう全国から来た人たちが買っていってくれて、そこから未だに付き合ってもらってて。だから未だにそういうところには卸したりとかしてるんだけどね。
ほんとに、昔のヴィンテージつながりで、なんかいろいろね、関係をそのまま続けてくれてて、それでなんとかやって来れた様なもんだからね。
ー最近になるとデザイナーズブランドともお仕事されたりしていらっしゃいますよね
松崎:そう。だから結局、N.Hoolywoodも、もう20年くらいのお付き合いをさせてもらってますね。尾花氏(N.Hoolywoodデザイナー)とはずっと付き合いがあって、それで引っ張り上げてくれて、いろいろやってくれてて。
ー日本に帰ってきた時、なぜ東京じゃなく福岡を選ばれたんですか?
松崎:やっぱり地元って言うのもあるんだけど、東京は住むとこじゃないなって思ってたからね。どっちみち都会が合う人間じゃないし、俺は。それに田舎の方が良かったからっていうのもあるね、せっかくずっと作業するんだし。帰ってくる時にはこの仕事するつもりで帰ってきてたしね。
最初の1年間半くらいの間は何もせずに、帰ってくる時に持ってきてた家具とか、自分が持ってたヴィンテージの服とかを売りながら生活してました。価値のあるもの沢山あったからね。それで、じゃ、そろそろ革の仕事本格的に始めよって思って、友達とここのアトリエを作ったの。友達と二人でね、2ヶ月かかったなか?かかってないくらいで、コツコツと。鉄筋の建物自体はあったんですよ。だから壁はったり床を張ったりして作ったんです。最初はただの馬小屋みたいだったんですけどね(笑)。
剣道は週3回。剣道は集中力を高める為だから、忙しくってもやってます。
ー1日の長い時間ここで過ごされているんですか?
松崎:もうずーっとここですよ。朝だいたい、8時か8時半くらいには、子ども送り出してこっち来てます。それで、お昼だけちょっとご飯食べに帰って、でまた戻ってきてます。だいたいずーっといますね。
剣道がある月水土は早く上がるんですけどね。剣道は週3回。剣道は集中力を高める為だから、忙しくってもやってます。(笑)忙しい時は、剣道行った後もまたここに戻ってきて作業してますね。だから、普通の剣道無い時は、だいたい20時21時くらいまでいて、で、ほんとに忙しい時っていうか、たくさんオーダーもらって急がなきゃなっていう時は、もう24時過ぎちゃいますね。1、2週間くらいはずーっと詰めてする時はありますね。
ーアメリカでも剣道はずっとされてたんですか?
松崎:やってましたね。向こうで一緒にやってたから交流があって、アメリカの世界大会に出るナショナルチームの綿タオル(手ぬぐい)をデザインしたりもしてたよ。稽古をやったり、試合とかも出て、一緒に試合したりとかもしてたから。それで、こないだ日本で世界大会あった時とかも応援に行ってきた。そこのトロフィーはアメリカで、剣道やってた時の個人戦で優勝したりした時のやつです。カリフォルニア州で開催されてる剣道大会なんですけど、その時のトロフィーです。アホでしょ(笑)。
ー僕の知り合いの剣道やってる人で、生活の仕方も服の着方も全て剣道から教わったって人がいて。服はちゃんとピシッと着るのが好きって言ってましたね。
松崎:あーそれすっごくわかるような気がする。集中力とかはやっぱり特にそうですね。集中力切れたら剣道しに行ってますもん、集中力高める為に。やっぱね、ほんっと集中力高まりますよ、剣道してたら。その為に行ってる様なものですからね。
あとやっぱ、こどもも始めたから、こどもの成長もね、見るのにね。
ーお子さんはアメリカに行きたいって言われますか?
松崎:ねー、それはやっぱり、行きたがってますね。だから行きたければもう、高校からでもいいぞって言ってますね。留学するならしていいよって。だってアメリカ人ですからね!ビザとか入らないから、うちの息子は。僕はグリーンカードをもってるだけだから日本人だけど、息子たちは向こうで生まれたからね。
【後編へつづきます】
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(ルースターキングアンドシーオーデザイナー マツザキユキオミ)
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