INTERVIEW 松坂生麻(「Name. / urself」ディレクター「:CASE」デザイナー)
2020.11.04 / INTERVIEW
私たちの生活にとって、ファッションとはどういった立ち位置であるべきか。松坂生麻さんは、等身大でフラットな眼差しで、現代の状況を観察し、その答えを求め続けている。「Name.」のPRを経て、ディレクターに就任し「Name.」のファウンダーである海瀬亮さんと共に「urself」のプロジェクトを手掛けた。メインアイテムであるパンツは33インチと38インチのみ、卸や実店舗を持たず、オンラインショップと地方のセレクトショップで行われるPOPUPでのみ販売される。その独自のコンセプトや販売方法は、世の中にひとつの回答を提示したと思う。そして生麻さんは新たに、デザインからディレクションまですべてを手掛ける「:CASE」というブランドを立ち上げることとなった。「:CASE」もまた、旧来のファッション感では捉えきれない、今までにない価値観を持つブランドである。去年30代を迎えた生麻さんに、ファッションの原初的な経験や、若い頃と今とでの、ファッションや生活に対する考え方の変化などを伺った。生麻さんの人物像や「:CASE」に繋がる発想の原点を、彼の飾らない言葉から探っていきたいと思う。
Dice&Dice(以下D):初めてファッションに興味を持った時のことを教えてください。
松坂生麻さん(以下生麻さん):僕がはじめてファッションに興味を持ったのは、たしか小学校5年生ぐらいの時ですね。全然かっこいい思い出ではないんですけど、その時、赤いアディダスのTシャツが、なぜかとてもお気に入りで、遠足の時とか、なにかある時には必ず、その赤いアディダスのTシャツを着ていました。その時は無意識だったんですけど、今振り返って考えると、それが初めてファッションを意識した経験だと思います。おしゃれっぽい三つ葉のロゴの方じゃなくて、白の三本線のアディダスのロゴがドンとプリントされたやつなんですけど、とにかく大好きで、母親に「明日も着たいから、どうにかしてくれ」とか無理言って、困らせていましたね。
D:その時は、アディダスのTシャツが流行っていたんですか?
生麻さん:いいえ、全然。ただ好きだっただけで、特に流行っていた訳ではないんですよね。もっとはっきりとファッションを意識したのは、GRAYのJIROを見てからですかね。僕は、4つ上に兄がいるんですけど、兄はGRAYが大好きで、GRAY関連の雑誌とかが家にあったり、当時すごく人気だったMステとかHEY!HEY!HEY!とかにGRAYが出演するのを、僕も一緒に見てました。チェックのパンツを履いたり、ニット着たり、僕の地元の田舎では見たこともないような恰好をしていて、着ている服で人がカッコよく見えるみたいな、ファッションのパワーを感じたのが、GRAYのJIROを見た時でした。GRAYの曲が特別好きだったわけでもないし、JIROのファッションをそのまま真似しようとは思わなかったですが、それが一番のきっかけではあります。
D:それから、ファッションにのめり込んでいく、というかんじですか?
生麻さん:いや、自分で服を選んだり買ったりするのは、まだまだ全然後で。何なら、人よりも結構遅かったと思うんですよね。中学から高校はずっとバスケ漬けだったので、当時の私服はNBAのスター選手のレプリカのユニフォームでした。ファッションとして着るというより、部活の延長という感覚でしたね。ちゃんと服を選び出したのは高校生の時で、そのあたりから、異性に対してカッコよく思われたいっていう目的で、服を選ぶようになりました。その時はB-BOYファッションがすごく流行っていたので、そんな感じの恰好をしていましたね。その影響で、今でも無地Tといえば PRO CLUBみたいなのはそこから来ています。兄が毎月買ってたBoonとかWOOFIN’とかを、勝手に部屋に入って盗み見していたんですけど、自分でファッション雑誌を買ったりするタイプではなかったですね。いわゆる服好きとか、服オタクって感じじゃなくて、部活の延長だったり、兄の影響だったり、何となく着たいものを着るっていう感じでした。どちらかといえばファッションには疎い方だったのかもしれないですね。高校生になって、制服が学ランからブレザーになって、先輩たちはネクタイを改造したり、いろいろ制服をいじっていました。僕もズボンを細く直したり、体の小さい人とブレザーを交換したりして、バシッと細身に着崩すっていう感じで着ていました。学生の時は、私服ってそんなに見せる機会がないので、制服をカッコよく着るっていうのが、異性に対してアピールするために結構大切でしたね。私服は、だんだんスポーティーな感じというか、機能性を重視した服を選ぶようになっていって、ノースフェイスとかをよく着るようになりました。服を着る時、音楽とかカルチャーとかはあんまり気にしてなくて、動きやすくて、雑多に使っていいような服を選んで着ていました。
D:そのあと、ファッションと、カルチャーはセイマさんの中で繋がっていきますか?
生麻さん:そうですね。そういうのが色々あるんだなって思うようになったのは、それこそファッションの専門学校に通うようになってからで、授業で学んだり、人に教えてもらったりして、色々知りました。その当時はエディ・スリマンがDiorをやって、すごいモードな格好が流行っていたので、僕も自ずとマルジェラとかラフシモンズとかそういうブランドを見に行くようになりましたね。
D:まず、なぜファッションの専門学校に行こうかなと思ったんですか?
生麻さん:高校2年生の夏休みに、いろいろなオープンキャンパスに行きだして、とりあえず知っている名前のところを選んで行ってみていたんですけど、いろいろ行った中で、一番楽しそうでいいなと思ったのが、ファッションの専門学校でした。こういうことを学びながら生活できるのっていいな、くらいの軽い理由で、ファッションの専門学校を選びました。なので、親に対しても、なにか熱意をぶつけるわけでもなく、さらっと進路について告げたんですけど、親も「自分でやれると思うんだったらいいんじゃない」とあっさり認めてくれました。兄が結構早くから、美容師の道を目指していたので、僕も自由に選択させてくれたんだと思います。あまりにも軽く決まったので、大学と専門学校の違いもよく分からないまま、専門学校に行ったっていう感じです。オープンキャンパスに行ったのは、スタイリスト科というところでした。スタイリストの仕事は雑誌で見て、何となく知っていたんですけど、オープンキャンパスで体験してみて、とても楽しくて、そのままスタイリスト科に進みました。でも別にスタイリストになりたかったわけでもなくて、何となく選んだので、勉強していくうちに、いろいろな事を学ぶのが楽しいなと思うようになって、もっと学びの幅を広げたくなったので、ファッションビジネスを学べる夜間の学校にも一年間行きました。そこで、服に携わる仕事は、様々な種類があることを知って、視野が広がりました。だんだん、好きなことでお金を稼ぐっていいことだろうな、と思うようになっていきました。それから自ずとアパレルに進んだ感じなので、その時点では、もちろん自分でブランドやりたいとかは一切考えてなかったですね。
D:そこまで打ち込むようになったきっかけがあれば教えてください。
生麻さん:3年制の専門学校だったんですけど、やっぱり、1年生の時はだらだらと過ごしていました。でも、普通は大学に行くところを、わざわざ専門学校を選んで、専門の技術を学ぶために入学したわけで、だらだらやっても意味がないなと思って、2年生になってからは真面目に取り組むようになりました。少しでも多く学べるように結構ストイックに学んでいた気がします。
D:専門学校での生活が終わり、その後はどういう進路だったんですか?
生麻さん:なんとなく、アパレルでやっていくんだったら、東京で勝負したいなと思っていたので、とりあえず、1年間フリーターをして、お金を貯めたり、上京をする準備をしました。それから1年後、予定通り上京したんですが、別に何のあてもなく上京したので、初めのうちふらふらしていました。そんなある日、名古屋のセレクトショップのオーナーさんから「暇なら一緒に展示会を回ろう」と連絡をもらって、その日いろんな展示会へ連れて行ってもらいました。そして、その最後がName.の展示会だったんですよ。そこで、そのまま飲みに行くことになり、僕も同行させてもらい、いろいろとお話させてもらいました。それから海瀬さんからちょこちょこ「ご飯行かない?」と連絡をもらうようになって、他愛もない話を聞いてもらったりしていました。出会って半年ぐらいの時、海瀬さんから「店を作ることになったから働いてみない?」と誘ってもらって、Name.で働くことになりました。お店ができる少し前から、事務的なことを手伝わせてもらいつつ準備を進めて、オープンしてからスタッフとして店に立ち始めました。
「Name.」ショップスタッフ時代の生麻さん
D:オープンして、最初はどんな感じだったんですか?
生麻さん:「必要なものは用意するからやってみなよ」みたいな、海瀬さんも、当時のデザイナーも、販売の経験がなかったので全て手探りで、顧客管理とか在庫管理とか、その辺のシステムは、やりながら形にしていこうという感じで、かなり実験的に色々やらせてもらえました。当時、どうやって外にPRすればいいのか、よくわからなかったので、まずは雑誌に載せるために、飛び込みで編集部に電話をかけて、みたいなところから初めました。そうしているうちに、じわじわとスタイリストさんが来てくれるようになって、雑誌にも載るようになっていきました。当時インスタとかもなかったので、自分で着て、鏡で写真を撮って無料のブログで書いたり、誰が見ているかわからないけど、フェイスブックに載せてみたり、ホームページもなかったので、電話通販で対応していたら、それで売れるようになってきたり、いろいろ地道にやっていましたね。試行錯誤していると、海瀬さんとか周りの人から、いろいろ人を紹介してもらったりして、ホームページができたり、オンラインショップがでたりしていきました。その時代に、インスタとかがあったら、多分もっと手軽にやれてたと思うし、僕が進んできた道は遠回りだったかもしれないけど、その結果いろんな人に出会うことができたので、今思うと、そういうやり方でやってこられて良かったなと思っています。
D:そういう時代を経て、セイマさんは30代を迎えられたわけですけど、若い頃と、今との、ファッションに対する考え方の変化はありますか?
生麻さん:20代の時は、背伸びして自分を良く見せることを頑張っていた気がしますね。服を買うのも、着るのも、選ぶのも、周りの人から評価してもらうことに重きを置いて考えていました。なので、若いころは、実際の自分の生活よりも、2段3段上のものを身に付けようとしていました。まあ、それが楽しかったし、そのために一生懸命働いていた感じだったので、それでよかったと思います。でも今は、そういうことよりも、自分の生活に合ったものというか、落ち着くものというか、それこそ学生時代に、動きやすいからという理由で、ノースフェイスとかを着ていた頃に戻った感じかもしれません。10代の頃は無意識に生活に合ったものを選んでいたので、30代になって、またそこに立ち返ったという感じかもしれないですね。20代の頃は、こう思われたい、こうしたいっていう等身大以上のものを出そうと、常に意識していたんですけど、30代になった今では、逆に等身大以上に見られるのも、ちょっと変という、しっくりこなくなりました。かといって、極端にリラックスしすぎているものを着るわけでもなく、本当に生活そのままという感じで、それこそ制服に近いというか「これをしたい時はこれを着たい、ここに行く時はこれを着たい、この人に会う時はこれを着たい」というような感じで、場面にファッションを当てはめるという考え方が、自分には合っていると思うようになりました。
D:20代で肉付けされたものが、30代でそぎ落とされていく過程で、それでも残ったものや、気付いたことはありますか?
生麻さん:例えば、若い頃は今日履いているこのワラビーとか、魅力が全く分かりませんでした。世の中にずっとあるもので、確かに靴としては可愛いけど、自分が履きたいものではないと思っていました。でも、急に去年ぐらいから履きたくなって、履いてみるとすごくしっくりくる。若いころは、夏にショーツなんて全然履かなかったのに、30代になって膝上のショーツが履きたくなって、履いてみるとすごく似合う。そういうのって、若いころ自分よりも上の世代の人を見て、そういうファッションをサラッとしているのに憧れていたけど、真似してみても似合わなかったのが、30代になって、フレッシュな若さとは違う雰囲気をまとうようになって、似合うようになってきた、ということだと思います。選ぶものが変わったり、選ぶ色も変わりました。若いころはあまり、カーキとか落ち着いた色合いのものは着なかったのが、最近はカーキを好んで着るようになったり、逆に蛍光色は着られなくなったりしています。何となく、自分の想像していた30代と、自分の実際の30代との差が埋められていっているような感覚です。
生麻さんの私物のワラビーブーツ
D:そういった感覚は、ファッションだけではなく他のことにも感じるようになりましたか?
生麻さん:海瀬さんや、先輩たちと、仕事の関係じゃなく遊ぶようになったのも割と最近なんですけど、そういう風に考えるようになったのは、その先輩たちの影響が大きいと思います。多分、同年代と変わらずに遊んでいたら触れなかったことや、気付かなかったことをすごくいっぱい学べました。やっぱり、同年代の友達と遊んでいると、遊びといえば、飲みとか、カラオケとかだったんですけど、今は仕事の用事も絡めて予定を立てて、プライベートとして行くけど、行った先でも仕事がある、という良い意味でオンオフがない環境をつくるようにしています。これも先輩に影響を受けたことだと思います。それこそ、今までは車とかに全然興味なかったんですけど、例えば、ディーゼル車に乗っている先輩がいると、そんなに良いのか、と思って調べて、ディーゼル車の良さを知り、乗ってみたくなったり。家具とかも、今までは安い高い関係なく、見た目がいいものを選ぶタイプだったんですけど。先輩から、デザイナーの作った家具を教えてもらって、頂いたり、譲ってもらったりとかしているうちに興味を持つようになりました。それだけで揃えるのは自分らしくないと思ったので、例えば、無印の家具の隣にデザイナーズのチェアが置いてあるようなハイブリットな感じで取り入れています。そんな感じで、いろいろ影響を受けつつ、それを自分なりの等身大に落とし込んでいます。
生麻さんの好きなものたちとフラットに馴染むYチェア
D:家族ができて、何か感じることはありましたか?
生麻さん:お互いにとやかくいうタイプでもないので、ファッションに対しての考え方は特に変わりませんでした。というか、変わらないのが良かったんだろうと思います。ひとつ変わったといえば、なんとなく、奥さん的には短髪よりも髪が長い人が好きなのかなと思って、今髪を伸ばしています。それが唯一の変化かなと思います。自分の時間がちゃんとあって、奥さんはアニメがすごく好きで、すっとアニメを見ていますし、僕は家に帰ってずっとゲームしています。それがお互いに嫌じゃないので、その点苦労がないですね。奥さんは同じアパレルなので、分かり合える部分もたくさんあります。でも逆に、会社の規模や、働き方が全然違うのでお互いにギャップを感じる部分も多々あるのですが、そういうところを「なんで?」と思わずに「すごいな」と思い会えているので、お互いにフラットに応援しあえていい関係だなと思いますね。アパレルでも、もっと近い環境だと近すぎて逆に理解できないこともあったかもしれません。そういう部分だったり、時間を大切にしたり、うまい具合にピタッとあっているので、リラックスして生活できるというか、本当にいい関係だなと思っています。
生麻さんと奥さんの英恵さん
D:ファッションや生活の中で、ここはお金をかけている、というポイントなどありますか?
生麻さん:正直、ファッションではあまりないですね。高級な時計とか全然興味がなくて、メガネもずっとミリタリーのデッドストックを使っているんですけど、デザインされたメガネよりも安いもので、一生これで十分という感じです。しいて言うなら、目的のある観光には、お金をちゃんと出そうと思います。ファーストクラスに乗るとかそういうことではなくて、行くときに先輩に相談すると、行った方がいいところをいろいろと教えてもらえるので、泊るところとか、ご飯屋さんとか、先輩たちの教えてくれるいいところにはお金を出そうと思っています。そういうところには、歴史があったり、参考になるサービスがあったり、いい値段がする意味があると思うので、そういう経験にはお金を払おうと思えますね。かといって、めちゃくちゃ行っているわけではないので、特別な時に限ってですけどね。
D:30代を経て、これから目指していきたい人物像はありますか?
生麻さん:若いころ、そして今も先輩たちからいろいろ教わり学んできました。今からは、逆に若い世代を見て、かっこいいと思ったものを取り入れていける大人になりたいと思うようになりました。例えば、自分が30代後半、40代になったとき、若い世代が何をかっこいいと思って、何を身に付けているのかを、平気で受け入れられる大人でありたいと思っています。変なプライドがないというか、フラットな価値観をずっと持っていたいですね。僕がかっこいいと思う人は、何の先入観もなく、「何それ?」とか「面白そうだね、教えてよ」とか言える人で、思えば、僕の周りの先輩たちは、そういう人ばかりです。ですので、僕も、40代になっても、無印とデザイナーズ家具が混在する家に住んでいたいし、20代のかっこよさを取り入れられるような考えかたでいたい、そういう人生になっていたら最高だなと思いますね。
いつもの日常をいつも以上に。
この度ダイスアンドダイスでは:CASE @c_a_s_e.official の商品説明会・予約会(来春デリバリー)を開催いたします。期間中はディレクター松坂氏 @seima をお招きし、お客様へ直接:CASEの商品やムードをご説明させて頂きます。
松坂氏の考える:CASEの世界観をお楽しみに。
:CASE at Dice&Dice
Saturday 7th November - Monday 9th November
12:00 - 19:00
※期間中は通常の13:00 - 18:00でなく12:00 - 19:00までの営業とさせて頂きます。
※お問合せ info@dicexdice.com 092-722-4877
※新型コロナウイルス感染防止対策の一環として、店内が混雑する場合入店人数の制限を実施する可能性が御座います。
:CASE / ケイス
〈Name. / ネーム〉のディレクターであり、海瀬亮氏との〈urself / ユアセルフ〉では今までとは違った視点からプロジェクトを展開する〈松坂生麻 / マツザカ セイマ〉がデザインからディレクションまで総指揮を務める新ブランド。
“Part of One day”をコンセプトに掲げ、日常がすこしだけ豊かになるようなプロダクトを展開。モバイル性の高い男性をターゲットに、合わせにも困らず、着るのもお手入れも楽なアイテムが揃います。
松坂生麻 / マツザカ セイマ
1988年生まれ。Name.のPRを経て2018年よりディレクター就任。海瀬亮との〈urself / ユアセルフ〉プロジェクト、〈asics × Yu Nagaba / アシックス x 長場雄〉のシューズ・アパレル商品企画からビジュアルとWEBサイトのディレクション、Tomo&Co等ブランドルックブックのビジュアル制作、UOMOマガジン等でのモデルとてしても活躍。2020年にはデザインから全て自身で行う:CASEを立ち上げるなど、多方面で才能を発揮するクリエイティブディレクター。趣味はフォートナイト。
Text/Edit_藤雄紀
Dice&Dice(以下D):初めてファッションに興味を持った時のことを教えてください。
松坂生麻さん(以下生麻さん):僕がはじめてファッションに興味を持ったのは、たしか小学校5年生ぐらいの時ですね。全然かっこいい思い出ではないんですけど、その時、赤いアディダスのTシャツが、なぜかとてもお気に入りで、遠足の時とか、なにかある時には必ず、その赤いアディダスのTシャツを着ていました。その時は無意識だったんですけど、今振り返って考えると、それが初めてファッションを意識した経験だと思います。おしゃれっぽい三つ葉のロゴの方じゃなくて、白の三本線のアディダスのロゴがドンとプリントされたやつなんですけど、とにかく大好きで、母親に「明日も着たいから、どうにかしてくれ」とか無理言って、困らせていましたね。
D:その時は、アディダスのTシャツが流行っていたんですか?
生麻さん:いいえ、全然。ただ好きだっただけで、特に流行っていた訳ではないんですよね。もっとはっきりとファッションを意識したのは、GRAYのJIROを見てからですかね。僕は、4つ上に兄がいるんですけど、兄はGRAYが大好きで、GRAY関連の雑誌とかが家にあったり、当時すごく人気だったMステとかHEY!HEY!HEY!とかにGRAYが出演するのを、僕も一緒に見てました。チェックのパンツを履いたり、ニット着たり、僕の地元の田舎では見たこともないような恰好をしていて、着ている服で人がカッコよく見えるみたいな、ファッションのパワーを感じたのが、GRAYのJIROを見た時でした。GRAYの曲が特別好きだったわけでもないし、JIROのファッションをそのまま真似しようとは思わなかったですが、それが一番のきっかけではあります。
D:それから、ファッションにのめり込んでいく、というかんじですか?
生麻さん:いや、自分で服を選んだり買ったりするのは、まだまだ全然後で。何なら、人よりも結構遅かったと思うんですよね。中学から高校はずっとバスケ漬けだったので、当時の私服はNBAのスター選手のレプリカのユニフォームでした。ファッションとして着るというより、部活の延長という感覚でしたね。ちゃんと服を選び出したのは高校生の時で、そのあたりから、異性に対してカッコよく思われたいっていう目的で、服を選ぶようになりました。その時はB-BOYファッションがすごく流行っていたので、そんな感じの恰好をしていましたね。その影響で、今でも無地Tといえば PRO CLUBみたいなのはそこから来ています。兄が毎月買ってたBoonとかWOOFIN’とかを、勝手に部屋に入って盗み見していたんですけど、自分でファッション雑誌を買ったりするタイプではなかったですね。いわゆる服好きとか、服オタクって感じじゃなくて、部活の延長だったり、兄の影響だったり、何となく着たいものを着るっていう感じでした。どちらかといえばファッションには疎い方だったのかもしれないですね。高校生になって、制服が学ランからブレザーになって、先輩たちはネクタイを改造したり、いろいろ制服をいじっていました。僕もズボンを細く直したり、体の小さい人とブレザーを交換したりして、バシッと細身に着崩すっていう感じで着ていました。学生の時は、私服ってそんなに見せる機会がないので、制服をカッコよく着るっていうのが、異性に対してアピールするために結構大切でしたね。私服は、だんだんスポーティーな感じというか、機能性を重視した服を選ぶようになっていって、ノースフェイスとかをよく着るようになりました。服を着る時、音楽とかカルチャーとかはあんまり気にしてなくて、動きやすくて、雑多に使っていいような服を選んで着ていました。
D:そのあと、ファッションと、カルチャーはセイマさんの中で繋がっていきますか?
生麻さん:そうですね。そういうのが色々あるんだなって思うようになったのは、それこそファッションの専門学校に通うようになってからで、授業で学んだり、人に教えてもらったりして、色々知りました。その当時はエディ・スリマンがDiorをやって、すごいモードな格好が流行っていたので、僕も自ずとマルジェラとかラフシモンズとかそういうブランドを見に行くようになりましたね。
D:まず、なぜファッションの専門学校に行こうかなと思ったんですか?
生麻さん:高校2年生の夏休みに、いろいろなオープンキャンパスに行きだして、とりあえず知っている名前のところを選んで行ってみていたんですけど、いろいろ行った中で、一番楽しそうでいいなと思ったのが、ファッションの専門学校でした。こういうことを学びながら生活できるのっていいな、くらいの軽い理由で、ファッションの専門学校を選びました。なので、親に対しても、なにか熱意をぶつけるわけでもなく、さらっと進路について告げたんですけど、親も「自分でやれると思うんだったらいいんじゃない」とあっさり認めてくれました。兄が結構早くから、美容師の道を目指していたので、僕も自由に選択させてくれたんだと思います。あまりにも軽く決まったので、大学と専門学校の違いもよく分からないまま、専門学校に行ったっていう感じです。オープンキャンパスに行ったのは、スタイリスト科というところでした。スタイリストの仕事は雑誌で見て、何となく知っていたんですけど、オープンキャンパスで体験してみて、とても楽しくて、そのままスタイリスト科に進みました。でも別にスタイリストになりたかったわけでもなくて、何となく選んだので、勉強していくうちに、いろいろな事を学ぶのが楽しいなと思うようになって、もっと学びの幅を広げたくなったので、ファッションビジネスを学べる夜間の学校にも一年間行きました。そこで、服に携わる仕事は、様々な種類があることを知って、視野が広がりました。だんだん、好きなことでお金を稼ぐっていいことだろうな、と思うようになっていきました。それから自ずとアパレルに進んだ感じなので、その時点では、もちろん自分でブランドやりたいとかは一切考えてなかったですね。
D:そこまで打ち込むようになったきっかけがあれば教えてください。
生麻さん:3年制の専門学校だったんですけど、やっぱり、1年生の時はだらだらと過ごしていました。でも、普通は大学に行くところを、わざわざ専門学校を選んで、専門の技術を学ぶために入学したわけで、だらだらやっても意味がないなと思って、2年生になってからは真面目に取り組むようになりました。少しでも多く学べるように結構ストイックに学んでいた気がします。
D:専門学校での生活が終わり、その後はどういう進路だったんですか?
生麻さん:なんとなく、アパレルでやっていくんだったら、東京で勝負したいなと思っていたので、とりあえず、1年間フリーターをして、お金を貯めたり、上京をする準備をしました。それから1年後、予定通り上京したんですが、別に何のあてもなく上京したので、初めのうちふらふらしていました。そんなある日、名古屋のセレクトショップのオーナーさんから「暇なら一緒に展示会を回ろう」と連絡をもらって、その日いろんな展示会へ連れて行ってもらいました。そして、その最後がName.の展示会だったんですよ。そこで、そのまま飲みに行くことになり、僕も同行させてもらい、いろいろとお話させてもらいました。それから海瀬さんからちょこちょこ「ご飯行かない?」と連絡をもらうようになって、他愛もない話を聞いてもらったりしていました。出会って半年ぐらいの時、海瀬さんから「店を作ることになったから働いてみない?」と誘ってもらって、Name.で働くことになりました。お店ができる少し前から、事務的なことを手伝わせてもらいつつ準備を進めて、オープンしてからスタッフとして店に立ち始めました。
「Name.」ショップスタッフ時代の生麻さん
D:オープンして、最初はどんな感じだったんですか?
生麻さん:「必要なものは用意するからやってみなよ」みたいな、海瀬さんも、当時のデザイナーも、販売の経験がなかったので全て手探りで、顧客管理とか在庫管理とか、その辺のシステムは、やりながら形にしていこうという感じで、かなり実験的に色々やらせてもらえました。当時、どうやって外にPRすればいいのか、よくわからなかったので、まずは雑誌に載せるために、飛び込みで編集部に電話をかけて、みたいなところから初めました。そうしているうちに、じわじわとスタイリストさんが来てくれるようになって、雑誌にも載るようになっていきました。当時インスタとかもなかったので、自分で着て、鏡で写真を撮って無料のブログで書いたり、誰が見ているかわからないけど、フェイスブックに載せてみたり、ホームページもなかったので、電話通販で対応していたら、それで売れるようになってきたり、いろいろ地道にやっていましたね。試行錯誤していると、海瀬さんとか周りの人から、いろいろ人を紹介してもらったりして、ホームページができたり、オンラインショップがでたりしていきました。その時代に、インスタとかがあったら、多分もっと手軽にやれてたと思うし、僕が進んできた道は遠回りだったかもしれないけど、その結果いろんな人に出会うことができたので、今思うと、そういうやり方でやってこられて良かったなと思っています。
D:そういう時代を経て、セイマさんは30代を迎えられたわけですけど、若い頃と、今との、ファッションに対する考え方の変化はありますか?
生麻さん:20代の時は、背伸びして自分を良く見せることを頑張っていた気がしますね。服を買うのも、着るのも、選ぶのも、周りの人から評価してもらうことに重きを置いて考えていました。なので、若いころは、実際の自分の生活よりも、2段3段上のものを身に付けようとしていました。まあ、それが楽しかったし、そのために一生懸命働いていた感じだったので、それでよかったと思います。でも今は、そういうことよりも、自分の生活に合ったものというか、落ち着くものというか、それこそ学生時代に、動きやすいからという理由で、ノースフェイスとかを着ていた頃に戻った感じかもしれません。10代の頃は無意識に生活に合ったものを選んでいたので、30代になって、またそこに立ち返ったという感じかもしれないですね。20代の頃は、こう思われたい、こうしたいっていう等身大以上のものを出そうと、常に意識していたんですけど、30代になった今では、逆に等身大以上に見られるのも、ちょっと変という、しっくりこなくなりました。かといって、極端にリラックスしすぎているものを着るわけでもなく、本当に生活そのままという感じで、それこそ制服に近いというか「これをしたい時はこれを着たい、ここに行く時はこれを着たい、この人に会う時はこれを着たい」というような感じで、場面にファッションを当てはめるという考え方が、自分には合っていると思うようになりました。
D:20代で肉付けされたものが、30代でそぎ落とされていく過程で、それでも残ったものや、気付いたことはありますか?
生麻さん:例えば、若い頃は今日履いているこのワラビーとか、魅力が全く分かりませんでした。世の中にずっとあるもので、確かに靴としては可愛いけど、自分が履きたいものではないと思っていました。でも、急に去年ぐらいから履きたくなって、履いてみるとすごくしっくりくる。若いころは、夏にショーツなんて全然履かなかったのに、30代になって膝上のショーツが履きたくなって、履いてみるとすごく似合う。そういうのって、若いころ自分よりも上の世代の人を見て、そういうファッションをサラッとしているのに憧れていたけど、真似してみても似合わなかったのが、30代になって、フレッシュな若さとは違う雰囲気をまとうようになって、似合うようになってきた、ということだと思います。選ぶものが変わったり、選ぶ色も変わりました。若いころはあまり、カーキとか落ち着いた色合いのものは着なかったのが、最近はカーキを好んで着るようになったり、逆に蛍光色は着られなくなったりしています。何となく、自分の想像していた30代と、自分の実際の30代との差が埋められていっているような感覚です。
生麻さんの私物のワラビーブーツ
D:そういった感覚は、ファッションだけではなく他のことにも感じるようになりましたか?
生麻さん:海瀬さんや、先輩たちと、仕事の関係じゃなく遊ぶようになったのも割と最近なんですけど、そういう風に考えるようになったのは、その先輩たちの影響が大きいと思います。多分、同年代と変わらずに遊んでいたら触れなかったことや、気付かなかったことをすごくいっぱい学べました。やっぱり、同年代の友達と遊んでいると、遊びといえば、飲みとか、カラオケとかだったんですけど、今は仕事の用事も絡めて予定を立てて、プライベートとして行くけど、行った先でも仕事がある、という良い意味でオンオフがない環境をつくるようにしています。これも先輩に影響を受けたことだと思います。それこそ、今までは車とかに全然興味なかったんですけど、例えば、ディーゼル車に乗っている先輩がいると、そんなに良いのか、と思って調べて、ディーゼル車の良さを知り、乗ってみたくなったり。家具とかも、今までは安い高い関係なく、見た目がいいものを選ぶタイプだったんですけど。先輩から、デザイナーの作った家具を教えてもらって、頂いたり、譲ってもらったりとかしているうちに興味を持つようになりました。それだけで揃えるのは自分らしくないと思ったので、例えば、無印の家具の隣にデザイナーズのチェアが置いてあるようなハイブリットな感じで取り入れています。そんな感じで、いろいろ影響を受けつつ、それを自分なりの等身大に落とし込んでいます。
生麻さんの好きなものたちとフラットに馴染むYチェア
D:家族ができて、何か感じることはありましたか?
生麻さん:お互いにとやかくいうタイプでもないので、ファッションに対しての考え方は特に変わりませんでした。というか、変わらないのが良かったんだろうと思います。ひとつ変わったといえば、なんとなく、奥さん的には短髪よりも髪が長い人が好きなのかなと思って、今髪を伸ばしています。それが唯一の変化かなと思います。自分の時間がちゃんとあって、奥さんはアニメがすごく好きで、すっとアニメを見ていますし、僕は家に帰ってずっとゲームしています。それがお互いに嫌じゃないので、その点苦労がないですね。奥さんは同じアパレルなので、分かり合える部分もたくさんあります。でも逆に、会社の規模や、働き方が全然違うのでお互いにギャップを感じる部分も多々あるのですが、そういうところを「なんで?」と思わずに「すごいな」と思い会えているので、お互いにフラットに応援しあえていい関係だなと思いますね。アパレルでも、もっと近い環境だと近すぎて逆に理解できないこともあったかもしれません。そういう部分だったり、時間を大切にしたり、うまい具合にピタッとあっているので、リラックスして生活できるというか、本当にいい関係だなと思っています。
生麻さんと奥さんの英恵さん
D:ファッションや生活の中で、ここはお金をかけている、というポイントなどありますか?
生麻さん:正直、ファッションではあまりないですね。高級な時計とか全然興味がなくて、メガネもずっとミリタリーのデッドストックを使っているんですけど、デザインされたメガネよりも安いもので、一生これで十分という感じです。しいて言うなら、目的のある観光には、お金をちゃんと出そうと思います。ファーストクラスに乗るとかそういうことではなくて、行くときに先輩に相談すると、行った方がいいところをいろいろと教えてもらえるので、泊るところとか、ご飯屋さんとか、先輩たちの教えてくれるいいところにはお金を出そうと思っています。そういうところには、歴史があったり、参考になるサービスがあったり、いい値段がする意味があると思うので、そういう経験にはお金を払おうと思えますね。かといって、めちゃくちゃ行っているわけではないので、特別な時に限ってですけどね。
D:30代を経て、これから目指していきたい人物像はありますか?
生麻さん:若いころ、そして今も先輩たちからいろいろ教わり学んできました。今からは、逆に若い世代を見て、かっこいいと思ったものを取り入れていける大人になりたいと思うようになりました。例えば、自分が30代後半、40代になったとき、若い世代が何をかっこいいと思って、何を身に付けているのかを、平気で受け入れられる大人でありたいと思っています。変なプライドがないというか、フラットな価値観をずっと持っていたいですね。僕がかっこいいと思う人は、何の先入観もなく、「何それ?」とか「面白そうだね、教えてよ」とか言える人で、思えば、僕の周りの先輩たちは、そういう人ばかりです。ですので、僕も、40代になっても、無印とデザイナーズ家具が混在する家に住んでいたいし、20代のかっこよさを取り入れられるような考えかたでいたい、そういう人生になっていたら最高だなと思いますね。
いつもの日常をいつも以上に。
この度ダイスアンドダイスでは:CASE @c_a_s_e.official の商品説明会・予約会(来春デリバリー)を開催いたします。期間中はディレクター松坂氏 @seima をお招きし、お客様へ直接:CASEの商品やムードをご説明させて頂きます。
松坂氏の考える:CASEの世界観をお楽しみに。
:CASE at Dice&Dice
Saturday 7th November - Monday 9th November
12:00 - 19:00
※期間中は通常の13:00 - 18:00でなく12:00 - 19:00までの営業とさせて頂きます。
※お問合せ info@dicexdice.com 092-722-4877
※新型コロナウイルス感染防止対策の一環として、店内が混雑する場合入店人数の制限を実施する可能性が御座います。
:CASE / ケイス
〈Name. / ネーム〉のディレクターであり、海瀬亮氏との〈urself / ユアセルフ〉では今までとは違った視点からプロジェクトを展開する〈松坂生麻 / マツザカ セイマ〉がデザインからディレクションまで総指揮を務める新ブランド。
“Part of One day”をコンセプトに掲げ、日常がすこしだけ豊かになるようなプロダクトを展開。モバイル性の高い男性をターゲットに、合わせにも困らず、着るのもお手入れも楽なアイテムが揃います。
松坂生麻 / マツザカ セイマ
1988年生まれ。Name.のPRを経て2018年よりディレクター就任。海瀬亮との〈urself / ユアセルフ〉プロジェクト、〈asics × Yu Nagaba / アシックス x 長場雄〉のシューズ・アパレル商品企画からビジュアルとWEBサイトのディレクション、Tomo&Co等ブランドルックブックのビジュアル制作、UOMOマガジン等でのモデルとてしても活躍。2020年にはデザインから全て自身で行う:CASEを立ち上げるなど、多方面で才能を発揮するクリエイティブディレクター。趣味はフォートナイト。
Text/Edit_藤雄紀