INTERVIEW 宮田・ヴィクトリア・紗枝(『quitan』デザイナー)
2020.08.08 / INTERVIEW
2021年春夏シーズンから、ダイスアンドダイスで取り扱いが始まるブランド『quitan』。ブランドリリースの文章には「文化の交歓」という聞き慣れない言葉がありました。デザイナーの宮田・ヴィクトリア・紗枝さんは、シアトル生まれ。幼少期は、まるで遊牧民のように、文化の異なる暮らしを転々として育ったそうです。そんな宮田さんの「文化の交歓」という言葉には、とても大切な想いが込められているように感じました。『quitan』のものづくりのこと、「文化の交歓」のこと、そしてその土台となるクロード・レヴィ=ストロース『野生の思考』についてなど、いろいろとお話を伺いました。
—まずはブランド名『quitan』の由来や意味について教えてもらえますか?
世にも不思議な、しかし美しい話という意味の「綺譚(きたん)」という言葉があります。梨木香歩さんの『家守綺譚』という、いろんな河童とかが出てくる不思議なお話の小説があるんですけど、この小説の綺麗でみずみずしい文章が大好きで、「綺譚」という言葉にたどり着きました。『quitan』というスペルは自分でフランス語から音を当ててみました。ブランドを始めるということは、これから旅に出ることだとわたしは思っています。旅路で「綺譚」に出会うように、ひとつひとつのシーズンを進めていけたらなと思います。『家守綺譚』の背表紙のあらすじに「のびやかな交歓の記録である」と書いてありました。それを読んでワクワクして、でも「これだよな」と思って、ブランドのコンセプトとして「文化の交歓」という言葉でお借りしちゃいました。
梨木香歩さん『家守綺譚』
『家守綺譚』背表紙のあらすじ
—「文化の交歓」という言葉。ぼくはこの言葉を「異なる文化が混ざり合い、そこから新しい文化が生まれる」というような意味で捉えました。この解釈で合ってますか?
異文化が混ざって新しい文化が生まれるという意味も、もちろんあると思います。でも正直わざとそこまでのことは言わないようにしています。わたしの思う「文化の交歓」は「違う文化のことをまず知ってみませんか?」っていう提案というか問いかけにすぎなくて、自分と違う人のことを知るきっかけになればいいな、という想いがあります。自分と違う人や文化に出会えば、もしかしたら混ざって新しい文化が生まれるかもしれないし、ただ「そうなんだ」って認識しあって共存していくだけかもしれない。そこにいろんな可能性があるのが面白いなと思います。
コンセプトの中にも書いたんですけど、わたしは点と点を線にしてみたいなと思っています。例えば、ものづくりをあえてワンオペに近い形でやることで、自分で納品するところまでやらせてもらえるので、そういう意味で点と点が線になっていくのを実感できます。日本で作った生地をフランスの工場で組立てるっていう、普通はやらないようなこともやっています。決して侵食し合うわけじゃなくて、共存していくというかたちの中で、点と点が線になったらいいなと思っています。
—フランス生産を始めるきっかけ、そしてその魅力はどういったところにあるのでしょうか?
もともとフレンチヴィンテージが好きだったというのもあるんですが、基本的には前職での経験がきっかけですね。大学生の時、第二外国語でフランス語を学んでたんですけど、中途半端なのが嫌だったので、親に頼みこんで、成人式に出ない、そこでお金をかけない代わりに、フランスの語学学校に行かせてもらいました。その学校はフランスの真ん中辺りにあるんですけど、毎日すごく楽しかったです。そういう訳で、フランス語がちょこっとわかるというので、前職ではフランスでのものづくりに携わる仕事をさせてもらっていました。
フランスのものづくりの特徴は、イギリス生産とかもそうなんですけど、縫いあがってできてきた時の見え方がなんか全然違うんです。うまく表現できないんですけど。言ってしまえば、日本よりはるかに下手なんですけど、やっぱり違うんですよ。表情というか。日本生産ってとても丁寧なんですけど、そのぶん割と平面的に仕上がってくるんです。でも、フランス生産はもっと立体的で、もっと空気が含まれているような感じがして、わたしはそこが魅力的だと思います。
あと『quitan』でも春夏の商品に使っているんですけど、パステル染めという染め方があります。インディゴ染めが主流になる前のフランスらしい青色の染め方なんですけど、その色がすごく好きなんです。パステルという、アブラナ科の菜の花みたいな植物から作られる色で、歴史がとても古い青なんです。インディゴと違って赤みが少なくて、空みたいなクリアな青色で、この色もわたしが思うフランスの魅力のひとつです。
—宮田さんがいろんな文化を相対的に見ることができるのは、ご自身の海外での経験などが関係しているのかなと思うのですが、どうでしょうか?
そうだといいなと思ってます。シアトルで生まれて4歳まで過ごして、日本に帰ってからは親の仕事の関係で 日本各地を遊牧民のように転々としながら暮らしました。高校の時にはカナダに一年間留学に行ったり、その後フランスに行ったりもしました。そういった生活を送る中で、旅行で立ち寄るだけでは気づけない、知れないことを経験できたのかなとは思っています。そういう意味では、いろんな視点に立ててるといいなと思います。
—そういった経験の中で、宮田さんが出会い影響を受けた「文化の交歓」のかたちがあれば教えてください。
ひとつは、今回のコレクションでも気に入って使ってるトルクメニスタンの生地があります。トルクメニスタンはシルクロードの途中にあって、遊牧民がたくさん住む国です。その遊牧民たちは移動しながら、草木染やインディゴ染めで染色された糸を使って、ラグのような生地を織って生活しています。定住しない遊牧民の織機は特殊で、砂漠の砂へ拠点を刺しこみ、そこから縦糸を引っ張って織っていきます。そして「移動するぞ」となったら、その拠点を抜いて畳んで持って移動します。でも糸を染めるのには絶対に釜がいるじゃないですか。草木染は最悪いらないかもしれないですけど、インディゴとか藍って絶対に釜が必要なんですよね。でも遊牧民なので釜は持っていない。「これってどうやって染めてるんですか?」ってラグを展示販売している人に聞いたら、その土地に定住している人たちにわざわざ頼んで糸を染めてもらうみたいなんです。お金を払うのか、物々交換なのかわかりませんが、移動していった先の文化が全然違う人たちに頼んで糸を染めてもらって、そしてそれを織物にして生活をしてるって、なんかとても素敵だなと思います。
あとはシンプルな話なんですけど、カナダって英語とフランス語の二ヶ国語なんですよ。なのでバイリンガル教育とかすごく進んでいて、英語を話す人ばっかりが住んでるエリアも、基本的に英語とフランス語の二ヶ国語表記なんですよ。それがすごいシンプルなんですけど、すごく優しいなと思っていました。パッケージとかもちゃんと二ヶ国語になってて、優劣をつけてないところが好きでした。裏を返せばいろいろといがみ合っている部分もあるんですけど、そうやってちゃんと二ヶ国語になってるのって案外ないかなと思います。
最近では『青い目/茶色い目』というジェーン・エリオットという人の授業がおもしろいなと思いました。青い目の人と茶色い目の人で教室を分けるんです。そして茶色い目の人たちが、青い目の人達をとことん差別するんです。そうやって有色人種の差別っていうのを体験して知ろうっていう実験授業があって。そういうのも文化の交歓のひとつなのかなと思いました。
—その他に影響を受けたものはありますか?
クロード・レヴィ=ストロースという民族学者がいて、その人が『野生の思考』という本を出しているんですけど、それが好きなんですよ。その本は、わたし達が野蛮だと下に見ている「未開人」いわゆる先住民族のような人たちは、野生の思考を持っていて、その思考法は実は人間にとって根源的で、かつ普遍的なのではないか、それを科学的に検証しようというような本なんですけど、とても影響を受けました。
その中に「ブリコラージュ」という言葉が出てくるんですけど、「ブリコラージュ」というのはフランス語で日曜大工という意味なんです。有り合わせのもので、当面必要な道具を作るという意味なんですが、レヴィ=ストロースは『野生の思考』をこの「ブリコラージュ」を用いて語っています。わたしなりにそれを言い換えた言葉が「文化の交歓」なんですよね。
クロード・レヴィ=ストロース『野生の思考』
—『quitan』の中にも「ブリコラージュ」的なものってありますか?
例えば、もうすでにロゴが「ブリコラージュ」なんですよね。『quitan』のロゴの文字は『紙事』の渡邊絢さんという方が書いてくれたんですけど、渡邊さんが「文化の交歓なんだから普通に書いちゃだめ」って言って、アラビア文字に倣って「n」の後ろから書いてくれたんですよ。右から左に向かって。それを何パターンも何パターンも書いてもらって、それを阿部博文さんっていうベルリン在住のデザイナーさんにお願いして、全部バラバラに分解してもらって、その中からいいパーツだけとってくっつけたのがこのロゴなんです。
—ぼくが「ブリコラージュ」でおもしろいと感じたのは、破壊と再構築を「繰り返す」というところでした。これは『quitan』のコンセプトにもあった「サスティナブル」という言葉とも関連するような気がします。そのあたり宮田さんはどうお考えですか?
最近「サスティナブル」って言葉が割とメジャーになって、みんな「サスティナブル」と聞くとエコとか環境配慮っていうのが一番最初に思い浮かぶと思うんです。もちろん、それはそうなんですけど、国連の「SDGs(Sustainable Development Goals)」とかを見てみると本当はそれだけじゃないんですよね。ジェンダーレスとか、誰もが安全に必要最低限の暮らしが保証されるとか、ちゃんと安全な水が飲めるとか、そういうことを含めて、取り組み続けるというのが「サスティナビリティ」なんだと思います。そしてわたしはそれを『quitan』を通じて問いかけていけたらいいなと思っています。
だから、エコはもちろん出来る限り気をつけていて、例えば、残糸を使ったストライプやボーダーのカットソーは、サンプルを作る時に出た残布をパッチワークにしてバッグを作りました。量産で使った生地を本当に最後まで使い切ることって、なかなか難しいと思うんですけど、出来る限り始末良く、最後まで余りなく使っていきたいなっていうのは考えています。わたしはまだそういう力しかなくて、何かを再生したりとかってことは全然できてはないんですけど。服作りはどうしても新しく作らないいけないので、言ってしまえば、ものを増やしてしまってるので、それに対しては、出来る限り始末良くっていうのは気をつけています。遊牧民の暮らしとかもやっぱり居住してた空間を綺麗に畳んで、始末良く元通りにして次の場所に行くわけなので、その暮らしのサイクルってある意味進んでるような感じがして、その考え方自体が「野生の思考」的でいいなあと思うんですよね。
—『野生の思考』の中に「ブリコルールはつねに自分自身のなにがしかを作品の中にのこす」という一節があるんですが、宮田さん的にそれは何だと思いますか?
わたしはそれを民族性とか癖とかそういうことで捉えて見たんですけど、それがあえての場合もあるし無意識に残してしまっている場合もあると思いますね……。でもわたしの場合は、いろんなところを転々とし過ぎていて、高校生の頃から器用貧乏と言われ続けてるので「何事もひとつに絞らない」っていうのはあると思います。「フランス生産だ」っていうふうにも絞れないのが正直なところで、フランスにしてもインドにしても日本にしても、割とそれを絞らないでドッキングさせちゃう癖はあるかもしれませんね。どっちつかずって言われちゃうかもしれないですけど。森羅万象いろんなことが繋がってるって勝手に思い込んでいるので。それが何かは時間が経って後から気付くものなのかもしれませんね。でもポケットをつける位置とかはちょっと後ろ気味が好きだったり、割と癖はある方なので、そういうことかもしれませんね。
—批判じゃないですが、野生ってどうしても弱肉強食的な、残酷な面も持ち合わせていると思います。宮田さんはそういう一面をどう捉えていますか?
それがなかなか難しくていつも考えるんですけど、そこを無理やりに新しい社会性みたいなのを導入させて、そのコミュニティが壊れてしまうことには疑問を感じます。ただもちろん、命とかは平等であるべきだし、そのスタンスは変わらないんですけど。コミュニティの中で文化を持ちながら、ナンセンスであれば削ぎ落とされて行くものなんじゃないかなと思っています。そこに無理があるのであれば助けていくべきだとは思うんですけど、それが本当にいいことなのかは結果でしかわからないのかなって思っちゃうっていう中途半端な答えです。例えば天然素材や手染めなんかも守っていきたいんですけど、それで苦しんしまうんだったらやらない方が良いと思うんですよね。一緒にうまく共存して成長していくようなことをした方が良いという考え方ですね。
どんな人にも住みやすさって必要だし、そう思った時に、じゃあ絶対に野生に帰らなきゃいけないのかって言ったら、私はそうじゃないと思っています。『野生の思考』は単純に未開人たちの生活の中の思考の部分に学ぶべきことがあるんじゃないかっていう理論だと思うので、全部を再現しようとすることは疑問に思うんですよね。わたしも好きなので、否定は全然しないんですけど。ただ、そこに戻ることは絶対に無理じゃないですか。わたしも携帯がなければ絶対に生きていけないので。だからこそ「ブリコラージュ」をして必要な時に必要なものを揃えて、自分の生活のかたちを見つけていけばそれでいいのかなって思います。それが難しいんですけどね。でも、きっとそういう人の方が魅力的だなと思います。
—『quitan』の商品を手に取るひとたちには、何を感じてどうして欲しいと思っていますか?
わたしはコントロールしたいというよりも、いろいろと問いかけていきたいなと思ってます。私がやってることは全部仮説に過ぎないので、手に取ってくれるひとたちそれぞれで答えは出してもらえればなと思います。そういう話をロゴのデザイナーさんとかとよく話すんですけど、みんな同世代なので、自分たちのことを「問いかけ世代」と呼んでるんですよ。先輩のデザイナーさんたちは、自分の考えをちゃんと表現するっていう、そういう基盤をしっかり作ってくれているので、次の世代のわたしたちがやることは、問いかけることなのかなと思っています。世代的に、今まで感じてきた疑問を何かを通してやっと問いかけることができるように、周りも自分もなってきたように思います。そして、わたしは比較的それをやりやすい環境にいれてるので、常にいろんなことをいろんな角度で問いかけていくのがいいなと思っています。その問いかけるためのツールが、わたしにとってはファッションだったんですよね。ファッションが問いかけるツールとして伝わりやすくて、優しいのかなって思ったんです。
それこそエコの答えとか。すっごい悩んでて、自分の中でもまだ決めかねてるんですけど。エコなものって値段が高いじゃないですか。それってすごい不思議だなと思って、悪いとかじゃなくて不思議だなって。なので、それは実験的に価格設定とかで問いかけてみようかなって思ったりしてるんですよね。最近はSNSの使い方とかも、何は良くて何はだめなのか、個人の判断が問われていると思います。そういうことも、いろんな人がどう思っているのか聞いてみたい。結果はもちろん良い方が良いんですけど、やっぱりまずは知って、考えないとそれは生まれてこないと思うので。
Text/Edit_藤雄紀
『quitan』デビューとなる2021年春夏シーズンの商品は、来年1月頃より順次展開予定です。
Anglobal Community Martでも宮田さんのインタビューが掲載されています。是非ご覧ください。
・はじめまして、QUITANです。「デザイナー宮田紗枝さんとサラダボウル」VOLUME.1
・はじめまして、QUITANです。「世界中の生活様式をつないで」VOLUME.2
ダイスアンドダイスでは、ひと足先に『quitan』のマスクを販売しています。インドにて、手紡ぎ・手織りされた綿シルクカディを表面に使い、肌に直接触れる裏地は、オーガニックコットンのWガーゼを使用したマスクです。
<quitan / Mask - Cotton / Silk Khadi の商品ページはこちら>
—まずはブランド名『quitan』の由来や意味について教えてもらえますか?
世にも不思議な、しかし美しい話という意味の「綺譚(きたん)」という言葉があります。梨木香歩さんの『家守綺譚』という、いろんな河童とかが出てくる不思議なお話の小説があるんですけど、この小説の綺麗でみずみずしい文章が大好きで、「綺譚」という言葉にたどり着きました。『quitan』というスペルは自分でフランス語から音を当ててみました。ブランドを始めるということは、これから旅に出ることだとわたしは思っています。旅路で「綺譚」に出会うように、ひとつひとつのシーズンを進めていけたらなと思います。『家守綺譚』の背表紙のあらすじに「のびやかな交歓の記録である」と書いてありました。それを読んでワクワクして、でも「これだよな」と思って、ブランドのコンセプトとして「文化の交歓」という言葉でお借りしちゃいました。
梨木香歩さん『家守綺譚』
『家守綺譚』背表紙のあらすじ
—「文化の交歓」という言葉。ぼくはこの言葉を「異なる文化が混ざり合い、そこから新しい文化が生まれる」というような意味で捉えました。この解釈で合ってますか?
異文化が混ざって新しい文化が生まれるという意味も、もちろんあると思います。でも正直わざとそこまでのことは言わないようにしています。わたしの思う「文化の交歓」は「違う文化のことをまず知ってみませんか?」っていう提案というか問いかけにすぎなくて、自分と違う人のことを知るきっかけになればいいな、という想いがあります。自分と違う人や文化に出会えば、もしかしたら混ざって新しい文化が生まれるかもしれないし、ただ「そうなんだ」って認識しあって共存していくだけかもしれない。そこにいろんな可能性があるのが面白いなと思います。
コンセプトの中にも書いたんですけど、わたしは点と点を線にしてみたいなと思っています。例えば、ものづくりをあえてワンオペに近い形でやることで、自分で納品するところまでやらせてもらえるので、そういう意味で点と点が線になっていくのを実感できます。日本で作った生地をフランスの工場で組立てるっていう、普通はやらないようなこともやっています。決して侵食し合うわけじゃなくて、共存していくというかたちの中で、点と点が線になったらいいなと思っています。
—フランス生産を始めるきっかけ、そしてその魅力はどういったところにあるのでしょうか?
もともとフレンチヴィンテージが好きだったというのもあるんですが、基本的には前職での経験がきっかけですね。大学生の時、第二外国語でフランス語を学んでたんですけど、中途半端なのが嫌だったので、親に頼みこんで、成人式に出ない、そこでお金をかけない代わりに、フランスの語学学校に行かせてもらいました。その学校はフランスの真ん中辺りにあるんですけど、毎日すごく楽しかったです。そういう訳で、フランス語がちょこっとわかるというので、前職ではフランスでのものづくりに携わる仕事をさせてもらっていました。
フランスのものづくりの特徴は、イギリス生産とかもそうなんですけど、縫いあがってできてきた時の見え方がなんか全然違うんです。うまく表現できないんですけど。言ってしまえば、日本よりはるかに下手なんですけど、やっぱり違うんですよ。表情というか。日本生産ってとても丁寧なんですけど、そのぶん割と平面的に仕上がってくるんです。でも、フランス生産はもっと立体的で、もっと空気が含まれているような感じがして、わたしはそこが魅力的だと思います。
あと『quitan』でも春夏の商品に使っているんですけど、パステル染めという染め方があります。インディゴ染めが主流になる前のフランスらしい青色の染め方なんですけど、その色がすごく好きなんです。パステルという、アブラナ科の菜の花みたいな植物から作られる色で、歴史がとても古い青なんです。インディゴと違って赤みが少なくて、空みたいなクリアな青色で、この色もわたしが思うフランスの魅力のひとつです。
—宮田さんがいろんな文化を相対的に見ることができるのは、ご自身の海外での経験などが関係しているのかなと思うのですが、どうでしょうか?
そうだといいなと思ってます。シアトルで生まれて4歳まで過ごして、日本に帰ってからは親の仕事の関係で 日本各地を遊牧民のように転々としながら暮らしました。高校の時にはカナダに一年間留学に行ったり、その後フランスに行ったりもしました。そういった生活を送る中で、旅行で立ち寄るだけでは気づけない、知れないことを経験できたのかなとは思っています。そういう意味では、いろんな視点に立ててるといいなと思います。
—そういった経験の中で、宮田さんが出会い影響を受けた「文化の交歓」のかたちがあれば教えてください。
ひとつは、今回のコレクションでも気に入って使ってるトルクメニスタンの生地があります。トルクメニスタンはシルクロードの途中にあって、遊牧民がたくさん住む国です。その遊牧民たちは移動しながら、草木染やインディゴ染めで染色された糸を使って、ラグのような生地を織って生活しています。定住しない遊牧民の織機は特殊で、砂漠の砂へ拠点を刺しこみ、そこから縦糸を引っ張って織っていきます。そして「移動するぞ」となったら、その拠点を抜いて畳んで持って移動します。でも糸を染めるのには絶対に釜がいるじゃないですか。草木染は最悪いらないかもしれないですけど、インディゴとか藍って絶対に釜が必要なんですよね。でも遊牧民なので釜は持っていない。「これってどうやって染めてるんですか?」ってラグを展示販売している人に聞いたら、その土地に定住している人たちにわざわざ頼んで糸を染めてもらうみたいなんです。お金を払うのか、物々交換なのかわかりませんが、移動していった先の文化が全然違う人たちに頼んで糸を染めてもらって、そしてそれを織物にして生活をしてるって、なんかとても素敵だなと思います。
あとはシンプルな話なんですけど、カナダって英語とフランス語の二ヶ国語なんですよ。なのでバイリンガル教育とかすごく進んでいて、英語を話す人ばっかりが住んでるエリアも、基本的に英語とフランス語の二ヶ国語表記なんですよ。それがすごいシンプルなんですけど、すごく優しいなと思っていました。パッケージとかもちゃんと二ヶ国語になってて、優劣をつけてないところが好きでした。裏を返せばいろいろといがみ合っている部分もあるんですけど、そうやってちゃんと二ヶ国語になってるのって案外ないかなと思います。
最近では『青い目/茶色い目』というジェーン・エリオットという人の授業がおもしろいなと思いました。青い目の人と茶色い目の人で教室を分けるんです。そして茶色い目の人たちが、青い目の人達をとことん差別するんです。そうやって有色人種の差別っていうのを体験して知ろうっていう実験授業があって。そういうのも文化の交歓のひとつなのかなと思いました。
—その他に影響を受けたものはありますか?
クロード・レヴィ=ストロースという民族学者がいて、その人が『野生の思考』という本を出しているんですけど、それが好きなんですよ。その本は、わたし達が野蛮だと下に見ている「未開人」いわゆる先住民族のような人たちは、野生の思考を持っていて、その思考法は実は人間にとって根源的で、かつ普遍的なのではないか、それを科学的に検証しようというような本なんですけど、とても影響を受けました。
その中に「ブリコラージュ」という言葉が出てくるんですけど、「ブリコラージュ」というのはフランス語で日曜大工という意味なんです。有り合わせのもので、当面必要な道具を作るという意味なんですが、レヴィ=ストロースは『野生の思考』をこの「ブリコラージュ」を用いて語っています。わたしなりにそれを言い換えた言葉が「文化の交歓」なんですよね。
クロード・レヴィ=ストロース『野生の思考』
—『quitan』の中にも「ブリコラージュ」的なものってありますか?
例えば、もうすでにロゴが「ブリコラージュ」なんですよね。『quitan』のロゴの文字は『紙事』の渡邊絢さんという方が書いてくれたんですけど、渡邊さんが「文化の交歓なんだから普通に書いちゃだめ」って言って、アラビア文字に倣って「n」の後ろから書いてくれたんですよ。右から左に向かって。それを何パターンも何パターンも書いてもらって、それを阿部博文さんっていうベルリン在住のデザイナーさんにお願いして、全部バラバラに分解してもらって、その中からいいパーツだけとってくっつけたのがこのロゴなんです。
—ぼくが「ブリコラージュ」でおもしろいと感じたのは、破壊と再構築を「繰り返す」というところでした。これは『quitan』のコンセプトにもあった「サスティナブル」という言葉とも関連するような気がします。そのあたり宮田さんはどうお考えですか?
最近「サスティナブル」って言葉が割とメジャーになって、みんな「サスティナブル」と聞くとエコとか環境配慮っていうのが一番最初に思い浮かぶと思うんです。もちろん、それはそうなんですけど、国連の「SDGs(Sustainable Development Goals)」とかを見てみると本当はそれだけじゃないんですよね。ジェンダーレスとか、誰もが安全に必要最低限の暮らしが保証されるとか、ちゃんと安全な水が飲めるとか、そういうことを含めて、取り組み続けるというのが「サスティナビリティ」なんだと思います。そしてわたしはそれを『quitan』を通じて問いかけていけたらいいなと思っています。
だから、エコはもちろん出来る限り気をつけていて、例えば、残糸を使ったストライプやボーダーのカットソーは、サンプルを作る時に出た残布をパッチワークにしてバッグを作りました。量産で使った生地を本当に最後まで使い切ることって、なかなか難しいと思うんですけど、出来る限り始末良く、最後まで余りなく使っていきたいなっていうのは考えています。わたしはまだそういう力しかなくて、何かを再生したりとかってことは全然できてはないんですけど。服作りはどうしても新しく作らないいけないので、言ってしまえば、ものを増やしてしまってるので、それに対しては、出来る限り始末良くっていうのは気をつけています。遊牧民の暮らしとかもやっぱり居住してた空間を綺麗に畳んで、始末良く元通りにして次の場所に行くわけなので、その暮らしのサイクルってある意味進んでるような感じがして、その考え方自体が「野生の思考」的でいいなあと思うんですよね。
—『野生の思考』の中に「ブリコルールはつねに自分自身のなにがしかを作品の中にのこす」という一節があるんですが、宮田さん的にそれは何だと思いますか?
わたしはそれを民族性とか癖とかそういうことで捉えて見たんですけど、それがあえての場合もあるし無意識に残してしまっている場合もあると思いますね……。でもわたしの場合は、いろんなところを転々とし過ぎていて、高校生の頃から器用貧乏と言われ続けてるので「何事もひとつに絞らない」っていうのはあると思います。「フランス生産だ」っていうふうにも絞れないのが正直なところで、フランスにしてもインドにしても日本にしても、割とそれを絞らないでドッキングさせちゃう癖はあるかもしれませんね。どっちつかずって言われちゃうかもしれないですけど。森羅万象いろんなことが繋がってるって勝手に思い込んでいるので。それが何かは時間が経って後から気付くものなのかもしれませんね。でもポケットをつける位置とかはちょっと後ろ気味が好きだったり、割と癖はある方なので、そういうことかもしれませんね。
—批判じゃないですが、野生ってどうしても弱肉強食的な、残酷な面も持ち合わせていると思います。宮田さんはそういう一面をどう捉えていますか?
それがなかなか難しくていつも考えるんですけど、そこを無理やりに新しい社会性みたいなのを導入させて、そのコミュニティが壊れてしまうことには疑問を感じます。ただもちろん、命とかは平等であるべきだし、そのスタンスは変わらないんですけど。コミュニティの中で文化を持ちながら、ナンセンスであれば削ぎ落とされて行くものなんじゃないかなと思っています。そこに無理があるのであれば助けていくべきだとは思うんですけど、それが本当にいいことなのかは結果でしかわからないのかなって思っちゃうっていう中途半端な答えです。例えば天然素材や手染めなんかも守っていきたいんですけど、それで苦しんしまうんだったらやらない方が良いと思うんですよね。一緒にうまく共存して成長していくようなことをした方が良いという考え方ですね。
どんな人にも住みやすさって必要だし、そう思った時に、じゃあ絶対に野生に帰らなきゃいけないのかって言ったら、私はそうじゃないと思っています。『野生の思考』は単純に未開人たちの生活の中の思考の部分に学ぶべきことがあるんじゃないかっていう理論だと思うので、全部を再現しようとすることは疑問に思うんですよね。わたしも好きなので、否定は全然しないんですけど。ただ、そこに戻ることは絶対に無理じゃないですか。わたしも携帯がなければ絶対に生きていけないので。だからこそ「ブリコラージュ」をして必要な時に必要なものを揃えて、自分の生活のかたちを見つけていけばそれでいいのかなって思います。それが難しいんですけどね。でも、きっとそういう人の方が魅力的だなと思います。
—『quitan』の商品を手に取るひとたちには、何を感じてどうして欲しいと思っていますか?
わたしはコントロールしたいというよりも、いろいろと問いかけていきたいなと思ってます。私がやってることは全部仮説に過ぎないので、手に取ってくれるひとたちそれぞれで答えは出してもらえればなと思います。そういう話をロゴのデザイナーさんとかとよく話すんですけど、みんな同世代なので、自分たちのことを「問いかけ世代」と呼んでるんですよ。先輩のデザイナーさんたちは、自分の考えをちゃんと表現するっていう、そういう基盤をしっかり作ってくれているので、次の世代のわたしたちがやることは、問いかけることなのかなと思っています。世代的に、今まで感じてきた疑問を何かを通してやっと問いかけることができるように、周りも自分もなってきたように思います。そして、わたしは比較的それをやりやすい環境にいれてるので、常にいろんなことをいろんな角度で問いかけていくのがいいなと思っています。その問いかけるためのツールが、わたしにとってはファッションだったんですよね。ファッションが問いかけるツールとして伝わりやすくて、優しいのかなって思ったんです。
それこそエコの答えとか。すっごい悩んでて、自分の中でもまだ決めかねてるんですけど。エコなものって値段が高いじゃないですか。それってすごい不思議だなと思って、悪いとかじゃなくて不思議だなって。なので、それは実験的に価格設定とかで問いかけてみようかなって思ったりしてるんですよね。最近はSNSの使い方とかも、何は良くて何はだめなのか、個人の判断が問われていると思います。そういうことも、いろんな人がどう思っているのか聞いてみたい。結果はもちろん良い方が良いんですけど、やっぱりまずは知って、考えないとそれは生まれてこないと思うので。
Text/Edit_藤雄紀
『quitan』デビューとなる2021年春夏シーズンの商品は、来年1月頃より順次展開予定です。
Anglobal Community Martでも宮田さんのインタビューが掲載されています。是非ご覧ください。
・はじめまして、QUITANです。「デザイナー宮田紗枝さんとサラダボウル」VOLUME.1
・はじめまして、QUITANです。「世界中の生活様式をつないで」VOLUME.2
ダイスアンドダイスでは、ひと足先に『quitan』のマスクを販売しています。インドにて、手紡ぎ・手織りされた綿シルクカディを表面に使い、肌に直接触れる裏地は、オーガニックコットンのWガーゼを使用したマスクです。
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