Tomo&Co / TOMOTAKA ONOZAKI / INTERVIEW
2019.09.23 / INTERVIEW
トレーナーシューズにエアソール、ハリブリッドなデザインが魅力のシューズブランド『Tomo&Co / トモアンドシーオー』。
独自の魅力とその裏側を知るべく、デザイナー小野崎氏へのインタビューを敢行。
ーデザイナーになろうと思ったきっかけはなんですか?
小野崎さん(以下、小野崎):デザイナーになろうと思ったきっかけというきっかけは、特にあるような、ないような感じです。
しいていえば、映画好き・アメリカ好きの父の影響で、小学生の時から "いわゆる" アメリカみたいなものにどっぷり浸かっていて、小学生から高校生までリーバイスしか履かなかったり、みんながJORDAN履いてる時にALL STARやジャックパーセルしか履かないとか。そんな感じの偏った洋服好きな小学生ではありました。
そんなこんなで子供の頃からデザイナーみたいなものにはなりたいとは思っておりましたが、育った場所も田舎だったので、どうやってデザイナーという仕事につけるんだろうとわからず悶々としていました。
学生時代ファミレスでアルバイトしていて、そこの先輩たちがバンドマンや漫画家だったので、イラストレーターとフォトショップを教えてもらいました。そのファミレスの裏に住んでいたグラフィックデザイナーの人が、忙しい時にたまにうちらに仕事を振ってくれていて、僕がメキシコのハードコアバンドのBRUJERIAというバンド(その筋の人にはめちゃめちゃ人気あるバンドらしいです)のステッカーを作ることになったんです。一応そのタイミングが、自分がデザインしたものが世の中に出る一歩になりました。
なので、質問の答えになっていないかもしれませんが、デザイナーってスケーターとかと一緒で、デザイナーです、スケーターですって言ってしまえばそうなんですが、自分の中で「自分はデザイナーです」って思えた時デザイナーになるんだと思います。なので自分がどのタイミングでデザイナーになれたのかはわかりませんが、今でも将来もっともっと、かっこいいものを作れるデザイナーになりたいと思い続けています。
GERMAN TRAINER/WHITE
GERMAN TRAINER/BLACK
ー元々『ARTYZ』というブランドで洋服のデザインされていたとお聞きしましたが、『Tomo&Co』にかわっていく転機は何だったのでしょうか?
小野崎:ARTYZは23歳の時にTシャツから始めました。いわゆるストリートブランドですね。ノリと、その時興味ある物事を洋服に表現して、それはそれですごく楽しかったです。その中でも帽子と靴のデザインするのが、すごく好きでした。
僕はいわゆる型紙がひけない、ミシンが踏めないデザイナーなんですが、帽子と靴は、資材屋さんも縫製工場さんも近い距離にあり、自分の気持ちが洋服よりもダイレクトに表現できていました。
ちょうどARTYZ10周年の展示会が無事終わり、次のシーズンの型紙がパタンナーさんから届いたころ、息子と公園で遊んでるときに、ふと、フルラインナップの洋服を作る今の感じの仕事は一度休んでみようと思いました。
半年サイクルのワンシーズンに60型から70型の洋服をデザインしてましたが、その型数ですと自分が着ない洋服を作ったりとか、矛盾を感じたりしていたのも理由の一つです。
それで、自分の手が届く範囲での定番品番がありながら、新作5,6型を発表していく、みたいのをずっとやりたいなって思って、そうしました。
これからのイメージとしては、いままではわりと元ネタありきな感じというか、いわゆるレザーシューズにエアーソールがついてますという物が多かったのですが、自分が描いた線で、もうちょっとリラックスした感じというか、スニーカーに寄せた感じになってます。
ー影響をうけたデザイナーの方がいれば教えていただけますか?
小野崎:お世話になった先輩デザイナーの方はたくさんいますが、純粋にデザイナーとして影響を受けたのは、松尾健成さん。
影響を受けたアーティストはSHIN MURAYAMAです。
ー私たちも一目惚れしたエアーソールを使用したシューズは海外でも注目を浴びていますが、国内と海外の反響に違いはありますか?
小野崎:実際には反響の違いは特にありません。インターネットやSNSの普及で、わりと時差なく広がっている感じはします。
ですが吉田さんに、ニックウースターさんにジャーマントレーナーのモデルを販売していただいたことで、それがinstagramに載っていきなり海外のオファーがめちゃめちゃ増えました。
今現在で7カ国からオファーいただいてます。
ただ、英語が得意ではないので、仕事も平行してできて時差も少ない、セブ島に本気で英語留学考えてます。
ーデザインや制作のプロセスについて教えていただけますか?
小野崎:いきなり思いついたり、普段から描いてるデザイン画をアップデートさせていったり、素材から入るときもあります。ただ現在はワンシーズンに新作を5、6型しかリリースしないので、普段からためてるデザインをその時の気分で発表しています。
ジャーマントレーナーとかは、自分の中でローテクにハイテクソールのコントラストを楽しむというカテゴリーでつくりました。今はそんなことないと思うのですが、ヨーロッパの人たちはアメリカのN社のスニーカーとか履かないみたいな空気があるって聞いたことがあって、それがずっと頭にのこってて、「じゃ、ジャーマントレーナーにこのソール使ってみよう」っていう。
この感じはもしかしたらストリートブランドをやってなかったら出来なかったかもしれません。
ー今後の展開、当面の目標を教えていただけますか?
小野崎:良く目標は聞かれて困ってるんですが、Tomo&Coは、僕がもっと英語覚えたりしながら、もっと海外で展開したいのと、エアソールだけではなく、バルカナイズトや新しいソールのラインナップも挑戦して行きたいです。
僕自身の目標は、今まで通り信用してる仲間と、良い感じに生きて行けたらいいなとおもってます。
- インタビュー後記 -
私たちも今まで知る事の無かった裏側まで語られたインタビュー、いかがだったでしょうか?
ルックスもさることながら、履き心地も素晴らしく、ダイスアンドダイススタッフ内でも人気のシューズ。
是非みなさんも一度味わってみてください。
Tomo&Coの商品はこちら>
Tomotakaの商品はこちら>
Tomo&Co 小野崎朋孝
(トモアンドシーオーデザイナー オノザキトモタカ)
2014秋冬より10年間続けたARTYZをTomo&Coに改名し、帽子・靴・オーダーシャツからスタート。
&Co.はカンパニーではなく、デザイナーの小野崎朋孝とその家族、友人たちという意。
私たちが工場に足を運んだり、私たちが手が届く範囲のもだけを作っています。
Tomo&Co(トモアンドシーオー)>
Tomo&Co instagram>
独自の魅力とその裏側を知るべく、デザイナー小野崎氏へのインタビューを敢行。
ーデザイナーになろうと思ったきっかけはなんですか?
小野崎さん(以下、小野崎):デザイナーになろうと思ったきっかけというきっかけは、特にあるような、ないような感じです。
しいていえば、映画好き・アメリカ好きの父の影響で、小学生の時から "いわゆる" アメリカみたいなものにどっぷり浸かっていて、小学生から高校生までリーバイスしか履かなかったり、みんながJORDAN履いてる時にALL STARやジャックパーセルしか履かないとか。そんな感じの偏った洋服好きな小学生ではありました。
そんなこんなで子供の頃からデザイナーみたいなものにはなりたいとは思っておりましたが、育った場所も田舎だったので、どうやってデザイナーという仕事につけるんだろうとわからず悶々としていました。
学生時代ファミレスでアルバイトしていて、そこの先輩たちがバンドマンや漫画家だったので、イラストレーターとフォトショップを教えてもらいました。そのファミレスの裏に住んでいたグラフィックデザイナーの人が、忙しい時にたまにうちらに仕事を振ってくれていて、僕がメキシコのハードコアバンドのBRUJERIAというバンド(その筋の人にはめちゃめちゃ人気あるバンドらしいです)のステッカーを作ることになったんです。一応そのタイミングが、自分がデザインしたものが世の中に出る一歩になりました。
なので、質問の答えになっていないかもしれませんが、デザイナーってスケーターとかと一緒で、デザイナーです、スケーターですって言ってしまえばそうなんですが、自分の中で「自分はデザイナーです」って思えた時デザイナーになるんだと思います。なので自分がどのタイミングでデザイナーになれたのかはわかりませんが、今でも将来もっともっと、かっこいいものを作れるデザイナーになりたいと思い続けています。
GERMAN TRAINER/WHITE
GERMAN TRAINER/BLACK
ー元々『ARTYZ』というブランドで洋服のデザインされていたとお聞きしましたが、『Tomo&Co』にかわっていく転機は何だったのでしょうか?
小野崎:ARTYZは23歳の時にTシャツから始めました。いわゆるストリートブランドですね。ノリと、その時興味ある物事を洋服に表現して、それはそれですごく楽しかったです。その中でも帽子と靴のデザインするのが、すごく好きでした。
僕はいわゆる型紙がひけない、ミシンが踏めないデザイナーなんですが、帽子と靴は、資材屋さんも縫製工場さんも近い距離にあり、自分の気持ちが洋服よりもダイレクトに表現できていました。
ちょうどARTYZ10周年の展示会が無事終わり、次のシーズンの型紙がパタンナーさんから届いたころ、息子と公園で遊んでるときに、ふと、フルラインナップの洋服を作る今の感じの仕事は一度休んでみようと思いました。
半年サイクルのワンシーズンに60型から70型の洋服をデザインしてましたが、その型数ですと自分が着ない洋服を作ったりとか、矛盾を感じたりしていたのも理由の一つです。
それで、自分の手が届く範囲での定番品番がありながら、新作5,6型を発表していく、みたいのをずっとやりたいなって思って、そうしました。
これからのイメージとしては、いままではわりと元ネタありきな感じというか、いわゆるレザーシューズにエアーソールがついてますという物が多かったのですが、自分が描いた線で、もうちょっとリラックスした感じというか、スニーカーに寄せた感じになってます。
ー影響をうけたデザイナーの方がいれば教えていただけますか?
小野崎:お世話になった先輩デザイナーの方はたくさんいますが、純粋にデザイナーとして影響を受けたのは、松尾健成さん。
影響を受けたアーティストはSHIN MURAYAMAです。
ー私たちも一目惚れしたエアーソールを使用したシューズは海外でも注目を浴びていますが、国内と海外の反響に違いはありますか?
小野崎:実際には反響の違いは特にありません。インターネットやSNSの普及で、わりと時差なく広がっている感じはします。
ですが吉田さんに、ニックウースターさんにジャーマントレーナーのモデルを販売していただいたことで、それがinstagramに載っていきなり海外のオファーがめちゃめちゃ増えました。
今現在で7カ国からオファーいただいてます。
ただ、英語が得意ではないので、仕事も平行してできて時差も少ない、セブ島に本気で英語留学考えてます。
ーデザインや制作のプロセスについて教えていただけますか?
小野崎:いきなり思いついたり、普段から描いてるデザイン画をアップデートさせていったり、素材から入るときもあります。ただ現在はワンシーズンに新作を5、6型しかリリースしないので、普段からためてるデザインをその時の気分で発表しています。
ジャーマントレーナーとかは、自分の中でローテクにハイテクソールのコントラストを楽しむというカテゴリーでつくりました。今はそんなことないと思うのですが、ヨーロッパの人たちはアメリカのN社のスニーカーとか履かないみたいな空気があるって聞いたことがあって、それがずっと頭にのこってて、「じゃ、ジャーマントレーナーにこのソール使ってみよう」っていう。
この感じはもしかしたらストリートブランドをやってなかったら出来なかったかもしれません。
ー今後の展開、当面の目標を教えていただけますか?
小野崎:良く目標は聞かれて困ってるんですが、Tomo&Coは、僕がもっと英語覚えたりしながら、もっと海外で展開したいのと、エアソールだけではなく、バルカナイズトや新しいソールのラインナップも挑戦して行きたいです。
僕自身の目標は、今まで通り信用してる仲間と、良い感じに生きて行けたらいいなとおもってます。
- インタビュー後記 -
私たちも今まで知る事の無かった裏側まで語られたインタビュー、いかがだったでしょうか?
ルックスもさることながら、履き心地も素晴らしく、ダイスアンドダイススタッフ内でも人気のシューズ。
是非みなさんも一度味わってみてください。
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Tomo&Co 小野崎朋孝
(トモアンドシーオーデザイナー オノザキトモタカ)
2014秋冬より10年間続けたARTYZをTomo&Coに改名し、帽子・靴・オーダーシャツからスタート。
&Co.はカンパニーではなく、デザイナーの小野崎朋孝とその家族、友人たちという意。
私たちが工場に足を運んだり、私たちが手が届く範囲のもだけを作っています。
Tomo&Co(トモアンドシーオー)>
Tomo&Co instagram>